心理学者が実証、「誘いを断わること」を恐れなくていい理由
誘いを断わるのをためらう理由
第3、第4、第5の実験でも、これと似た状況のシミュレーションを行ったが、設定にいくつか変化を加えた。参加者に現実の友人を想定するよう指示したり、傍観者がいたり、参加者が招待者と被招待者の役割を交互に務めたり、といった変化だ。 これらの実験のあと、招待を断わった場合のネガティブな結果に関して、参加者の想像と現実のズレに着目して分析を行った。 ■誘いを断わるのをためらう理由 ギヴィとカークは、私たちが他人に「ノー」と言うことをこれほど深く恐れる理由を説明する仮説をいくつか立てている。以下のようなものだ。 ・招待者が怒るかもしれないという恐れ 私たちはしばしば、誘いを断わると相手が腹を立てるのではないかと心配する。相手は、いろいろ準備していたのにと憤慨するかもしれないし、単純に断わられることに傷つくかもしれない。 ・招待者が、自分は大切に思われていないと思い込むことへの恐れ 誘いを断わられた友人や家族は、自分が大事にされていないと感じるのではないかという恐れも、ありがちな不安だ。実際にそうした結果になることはほとんどないのだが、それでも「ノー」と言うのをためらわせる強力な動機になる。 ・二度と誘われないかもしれないという恐れ いちど誘いを断わったら、二度と楽しい誘いの声をかけてもらえなくなるのではないかと恐れる人もいるだろう。これは破滅的思考だが、直感的には理にかなっている。つきあいが悪い人だと思われると、まったく誘われなくなってしまうかもしれないので、それは避けたいという考えだ。 論文は「このような自問自答が頭の中を駆けめぐり、誘いを断わることを困難にする。場合によっては、こうした心配のために、本当は断わりたい誘いを受け入れる結果になる」と説明している。しかし、5つの実験結果から、こうした恐れには現実的な根拠がほとんどないことがわかった。
「ノー」と言うことを恐れる必要がない理由
■「ノー」と言うことを恐れる必要がない理由 5つの実験からは、一貫した知見が得られた。私たちは、誘いを断わられた時の招待者のネガティブな反応を大幅に過大評価しているというものだ。言い換えれば、私たちは誘いを断わることを、断わられる側よりもずっと気にしているのだ。このような「考えすぎ」の傾向に、思い当たる節がある人は多いだろう。実は、研究者自身もそうだった。 心理学系ニュースサイト「PsyPost」のインタビューで、ギヴィはこの研究の着想を得た個人的経験について語っている。「結婚式に招待されたのだが、行くのがちょっと面倒だった(遠方で、パートナーは出席できないことがわかっていた)」。ためらったが、2人とも欠席すれば新郎新婦は気分を害するだろうと心配し、ギヴィは結婚式に出席した。 「出席しなかったら新郎新婦がどれくらい気分を害するかを、大げさに考えすぎていたかもしれないと思った」とギヴィは認めている。そして研究の結果、ギヴィ自身も多くの人と同じように、自分の判断が及ぼす影響を過大評価していたことが裏づけられた。 ギヴィとカークは、ネガティブな結果を過大評価してしまう背景に「認知バイアス」があると考えている。具体的には、自分自身の考えすぎの思考に重きを置きすぎて、それを実際の他者の思考よりも優先させてしまう傾向のことだ。 私たちはしばしば、招待者が「ノー」と言われた事実に固執するのではないかと心配する。だが実際には彼らは、私たちが断わったという事実ではなく、断わった理由に注意を向ける可能性のほうがずっと高い。 こうした知見は、他人を喜ばせることを優先して疲弊してしまいがちな人々にとって朗報だ。ギヴィが説明するように「招待者は、私たちが想像するよりも理解がある」。つまり、たまには誘いを断わって自分のしたいことを優先しても、何の問題もないのだ。 そもそも、自分が声をかける側だったら、誘いを断わられたとしても、相手を尊重するだろう。だから、同じ敬意を自分にも向ければよいだけなのだ。
Mark Travers