BYD「EV世界一」を達成、大成長を遂げた根本理由とは? そのカギは前進的“模倣”だった
F3で低価格高人気を獲得
しかし、王氏は動じなかった。 彼は、電池事業で培った独自の生産方式を自動車製造にも応用し、徹底的なコスト削減を武器に戦いに臨んだ。こうして、2005年に低価格セダン「F3」が発売された。 日本車や韓国車の成功例を参考に、室内空間の最大化とエンジンスペースの最小化を追求したF3は、たちまち人気モデルとなった。しかし、技術力の不足から、当初のF3は海外メーカーには太刀打ちできなかった。 ・異音 ・オイル漏れ ・ヘッドライトへの浸水 ・ガタつき など、品質面でも問題が多かった。デザインも「前脳像花冠、后尾像飛度」とやゆされた。これは 「フロントフェースはカローラ(トヨタ)に似ており、リアはフィット(ホンダ)に似ている」 を意味する。また、自社でエンジンを開発できず、三菱製のエンジンを使用していた。この時点では、20年ほど前に多くの日本人が嘲笑していた“安かろう悪かろう”の 「パクリメーカー」 のひとつだったといえる。しかし、圧倒的な価格優位性、広い室内空間、充実した装備により、F3は中国人のファミリー層から支持を集めた。販売台数で四半期3冠を達成し、上半期だけで3万2500台を販売、中級車市場に確固たる地位を築いた。 その後、BYDは品質向上に重点的に取り組んだ。徹底した品質管理体制を確立し、部品の品質と組み立ての精度を向上させた。こうした地道な努力により、低価格と高品質のバランスを実現した。
世界初の量産型PHV発売
一方、EVの開発も並行して進められていた。 2008年12月、世界初の量産型プラグインハイブリッド車「F3DM」が発売された。F3DMはEVモードとHVモードを併せ持ち、走行状況に応じて運転者が自由に切り替えられるのが特徴だった。リン酸鉄リチウムイオン電池を搭載し、 「1回の充電で100km走行できる」 当時としては画期的な性能を実現していた。生産台数は少なかったが、世界初の量産車という点で画期的だった。 こうして、BYDは成長を続けていった。同年には同社の「F3」セダンが月間販売台数1万台を突破し、同年10月に初めて単独ブランドの販売台数としてトップの座を獲得。2009年1月には1万5675台と、2位のカローラ(1万3240台)を大きく引き離した。2009年には年間生産台数が45万台に達し、中国で4番目の自動車メーカーとなった。 この電動化への先駆的な取り組みは、著名な米国の投資家ウォーレン・バフェット氏の目にも留まった。バフェットはBYDへの投資を発表。2010年には米国市場への参入を表明し、世界中から注目を集める企業となった。