「日常の料理に手は掛けなくていい」 『一汁一菜でよいという提案』土井善晴さんの“主演”映画が公開に
普通のおいしさが大切
もっとも、本などで伝えてきた自身のメッセージが浸透してきた実感はあるという。土井さんの話を聞いたり、本を読んだりして気が楽になった、という感想を口にする人は少なくない。栄養的観点からよく言われる「一汁三菜」ではなく「一汁一菜でもよい」と言われたことで、「ちゃんとした料理を家で作らなければならない」という呪縛から解放されたというのだ。土井さんは家庭料理の重要さを説く一方で、決して作る人にプレッシャーはかけない。同書から、そのメッセージをいくつか拾ってみよう。 たとえば「普通においしい」ことの大切さについて―― 「ご飯や味噌汁、切り干しやひじきのような、身体に良いと言われる日常の食べ物にはインパクトがないので、テレビのグルメ番組などに登場することもないでしょう。もし、切り干しやひじきを食べて『おいしいっ!』と驚いていたら、わざとらしいと疑います。そんなびっくりするような切り干しはないからです。 若い人が『普通においしい』という言葉使いをするのを聞いたことがありますが、それは正しいと思います。普通のおいしさとは暮らしの安心につながる静かな味です。切り干しのおいしさは、『普通においしい』のです。 お料理した人にとって、『おいしいね』と言ってもらうことは喜びでしょう。でもその『おいしい』にもいろいろあるということです。家庭にあるべきおいしいものは、穏やかで、地味なもの。よく母親が自分の作る料理について『家族は何も言ってくれない』と言いますが、それはすでに普通においしいと言っていることなのです。なんの違和感もない、安心している姿だと思います」
また「手を掛けない」ことの意味について―― 「食事を一汁一菜にすることで、食事作りにストレスはなくなります。それだけで精神的にも随分とらくになるはずですが、その上で、自由にのびのびできる余暇という時間を作ることです。それによって楽しみができて、心に余裕が生まれてきます。 こういった考えは、家事をらくしようとしてできたものではありません。一汁一菜は決して手抜きではないのです。手抜きしたなんて思うと、自分がいちばんいやな気持になるものでしょう。なによりも自分の気持ちに納得できることが大事ですから、そのためにも一汁一菜をよく理解していただきたいのです。 『料理はやっぱり“ひと手間”ですよね』とはよく聞かれる言葉ですが、それは労力を褒めているのであって、必ずしもおいしさにつながるものではありません。そんな言い方をするのは、一般的に手を掛けることが愛情を掛ける、思いを込めることにつながると思っているからです。しかし、日常の料理では手を掛ける必要はありません。家庭料理は手を掛けないもの。それがおいしさにつながるのです」(いずれも『一汁一菜でよいという提案』より)