道長との「協調路線」を守った一条天皇
3月31日(日)放送の『光る君へ』第13回「進むべき道」では、まひろ(のちの紫式部/むらさきしきぶ/吉高由里子)と藤原道長(ふじわらのみちなが/柄本佑)の別れから4年後の様子が描かれた。政界の勢力図は藤原兼家(かねいえ/段田安則)を中心に激変する一方、まひろの家は職を得られず困窮していた。 ■まひろが進むべき道を探し始める 一条天皇の即位に伴い摂政(せっしょう)に就任し、国の政治のトップに立った藤原兼家は、息子たちを次々に昇進させ、権力の座を固めていた。 そんななか、まひろは人々の識字率を高めようと、子どもに文字を教えることを始めた。文字を知らぬゆえに巻き込まれる、民のいざこざを少しでもなくそうという、まひろなりの世直しでもあった。世間では、国政に対する庶民の不満が日に日に高まっていたのだった。 こうした状況下で、兼家の健康問題の懸念が持ち上がった。衰えゆく兼家は、自らの死が近いことを悟る。藤原道長ら兄弟の間に動揺が走る一方、権力者・兼家の死を待ち望む者も少なくない。 花山(かざん)天皇の退位後、官職を失った藤原為時(ためとき/岸谷五朗)の影響で困窮にあえいでいることを耳にした源倫子(みなもとのともこ/りんし/黒木華)は、ある日、まひろを屋敷に招いた。想い人である道長と結婚し、子までなした倫子に複雑なものを感じるまひろは礼を述べつつも、倫子の屋敷での職のあっせんを丁重に断った。 屋敷から立ち去る際、まひろは、4年前の庚申待(こうしんまち)の夜以来、決別していた道長と偶然出くわすこととなった。二人は言葉なく、時が止まったかのように見つめ合ったのだった。 ■藤原兼家一族の権力を象徴 一条天皇は、980(天元3)年に円融(えんゆう)天皇の第1皇子として誕生した。母は藤原兼家の次女である藤原詮子(せんし/あきこ)。 984(永観2)年に立太子(りったいし)したが、わずか2年後に花山天皇が兼家の陰謀により唐突に出家したことに伴い、即位した。第66代となる天皇は、その時、満年齢で6歳。当時、最年少での即位だった。 外祖父・兼家が摂政となり権勢を振るったが、990(正暦元)年に兼家は死去。兼家の嫡男である藤原道隆(みちたか)が後を継ぎ、政権を掌握した。なお、同年に一条天皇は11歳で元服(げんぷく)している。兼家の死より半年ほど前のことで、元服を急いだのは道隆の娘を入内させるためだったといわれている。