【ドラフト選手の“家庭の事情”】巨人1位・石塚裕惺 野球好きの両親が施した多種多様な「英才教育」…体操、水泳、英語、トロンボーンにソロバン
【24年ドラフト選手の“家庭の事情”】#9 石塚裕惺 (巨人1位/花咲徳栄・18歳・内野手) 【写真】育成契約は嫌だった?ドラフトで名のある高校球児が軒並み指名漏れのカラクリ ◇ ◇ ◇ 石塚は野球好きの両親の元で生まれ育った。 千葉県出身の母・明世さん(47)と埼玉県出身の父・康直さん(49)の出会いは都内の大学の野球サークルだった。 「家では巨人戦のテレビ中継が流れていて、兄と弟は少年野球チームに所属していました。私も本当は野球をしたかったけど、泣く泣くサッカーを始め、中、高はソフトテニスに専念。高校時代は関東大会に出場したのが最高成績でした。選手としてはやり切ったから、大学ではサポート側に回りたくて、やっぱりまだ野球が好きだったのでマネジャーとしてサークルに参加したんです」(明世さん) 康直さんは大宮南高(埼玉)で白球を追い、大学を経て食品商社に就職。一時は野球を中断したが、仕事に慣れ始めた社会人3年目ごろから地元の草野球チームで汗を流した。 2人は2004年に結婚。千葉県の八千代市内で2人兄弟の長男として石塚が生まれた。 康直さんは息子にどうしても野球をやらせたかった。「最初はやるように仕向けた感じです」と、こう続ける。 「歩き始めたころからプラスチックのバットを握らせてみたり、キャッチボールをしたりしました(笑)。幼稚園に通い始めると、週1回の1時間ほどの野球教室にも行かせました。どうしても楽しさを知ってもらいたくて(笑)。そのうち本人がのめり込んでいったので、年長時に『勝田ハニーズ』へ。隣の学区でしたが、いくつか近所のチームを見た中で、幼稚園児でもしっかり練習させるチームだったので、後々、本人のためにもなると思ったのが決め手です」 康直さんはコーチとしてチームをサポートし、石塚が小学3年になると監督に就任。明世さんはスコアブックのつけ方を覚え、記録係を買って出た。家でも特訓を欠かさず、明世さんは毎日のようにバドミントンの羽根やカラーボールをトスした。 「打ち返された羽根や球が顔に当たった時は本当に痛くて、『もうイヤだ!』と思ったことが何度もありました」と、明世さんは苦笑交じりに振り返る。 学年が上がるにつれ、日々の素振りの回数が増え、小学校高学年になると1日500スイングが日課になっていた。 「強制したわけじゃありませんが、『素振りは歯磨きと一緒。毎日やるから意味がある』と伝えたら、進んで取り組むようになりました。ただこなすだけでは意味がないから、週1回だけ1000スイングの日をつくってみたり、ビデオカメラで撮影したり。後で私がチェックすると思っていれば、気が引き締まるだろうという狙いがありました」(康直さん) 物心がついたころから野球一色のように思われるが、思春期までに経験した習い事は数知れず。幼稚園から体操を2年、小学校に上がると水泳を2年。幼稚園から小学6年まで習ったソロバンは2級の腕前だ。小学1年から4年までは英会話スクールにも通い、高学年から英語塾に切り替えると、中学卒業まで続けた。かつてはトロンボーンも演奏できたそうだ。 「いろんなことを経験させたかったんです。ソロバンはたくさん指を使うから脳の発達にもいいだろうと。英語はペラペラ? いや、高校で苦手な教科が実は……。楽器は小学校の吹奏楽部で始めました。もともと小学4、5年ごろまでは公立中学の野球部に入るものだと思っていた。そうなると朝練がつきものだから、早起きに慣れておくに越したことはありません。朝練がある小学校の吹奏楽部を勧めてみたら、『やる』と。トロンボーンを担当していました」(明世さん) 中学時代は県内の強豪・佐倉シニアに所属。そのころから康直さんが指導することはほとんどなくなり、時折アドバイスするにとどめるようになっていた。 当時の主なサポートは佐倉シニアへの送迎と食育だ。 「たくさん食べるように、気付かないようにシレッと少しずつ茶碗を大きくしていきました。最後の方はどんぶりサイズを食べられるようになっていましたよ。不満はこぼさずキチンと平らげていました」(明世さん) 花咲徳栄(埼玉)へ進学し、レギュラーに選ばれたのは1年秋。入学当初は慣れない寮生活に戸惑いもあったという。 「選手が実家に帰れるのは5月5日のこどもの日と、年末年始くらい。初めて帰ってきた時は、『入寮した直後はお腹の調子が良くなかった』と漏らしていました」(明世さん) 康直さんも言う。 「入学当初はバッティングで悩んだ時期があったのか、スイングの動画を送ってきて『どうなってる?』と尋ねられたこともありました。それでもグチや弱音を私は聞いたことがありません」 チーム内の激しい競争を勝ち抜き、3年夏は「4番・遊撃」として県大会で打率.426、1本塁打をマークし、甲子園に出場。初戦の新潟産大付戦で惜敗したものの、先制点の足掛かりとなるチーム初安打を放つと、そのまま盗塁を成功。聖地で爪痕を残し、巨人から1位指名を受けた。 幼いころから積み重ねてきた多彩な経験が、大観衆が見守る中で発揮される日が待ち遠しい。 ▽石塚裕惺(いしづか・ゆうせい)2006年4月6日、千葉県八千代市生まれ。幼稚園から野球を始め、体操も習ってはいたが意外にも逆上がりが苦手だった。勝田ハニーズでは千葉ロッテジュニアに選抜。佐倉シニアで全国デビュー。花咲徳栄(埼玉)の3年夏に甲子園を経験した。石塚家の正月の恒例行事は親戚との野球練習。好きな食べ物は焼き鳥。右投げ右打ち。身長181センチ、体重82キロ。