イデオロギーよりも豊かさを。国民は「田中角栄」を求めているのか?
「角栄ラーメン」は気配りの味
東京・代々木駅近くに「Miso Noodle Spot 角栄」という新潟ラーメンの店がある。新潟県で育った店主が開いた店だ。麺は太麺、スープは濃厚な味噌味である。しかしながら、女性でも食べやすいように、胃にもたれるような感じはさせない。刻んだ生の白菜とニラが、爽快感を食べる側に与えている。女性向けに麺を少なくする代わり、トッピングをサービスするというきめの細かさがあった。 田中角栄は、濃い味のものが好きだったという。それと同時に、気配りの人であった。1983年の衆院選で、金権政治を批判して新潟3区から立候補した野坂昭如に対して「風邪をひくから靴下、長靴、手袋を差し入れてやれ」(『田中角栄 100の言葉』より)と陣中見舞いを届けた。「祝い事には遅れてもいい。ただし葬式には真っ先に駆けつけろ。本当に人が悲しんでいるときに寄り添ってやることが大事だ」(同)。そんなやさしさが、角栄の名を冠するラーメン店のスープからも伝わってくる。 いま、この国の政治、この国のリーダーに求められているのは、国民一人ひとりが豊かで、安心した生活を遅れるようにすることである。徒手空拳で総理大臣の地位に登りつめた田中角栄は、それを実現しようとした。そんな田中を、かつての新潟3区の人たちは支持し、田中に夢を託した。いまなお多くの日本国民が田中を慕い続けている。 格差が広まり、貧しくなっていくこの国で、いま求められている政治家はイデオロギーの政治家ではなく、国民を豊かにしていく政治家ではないか。だからこそ、人々は田中角栄を懐かしむのかもしれない。 (ライター・小林拓矢)