『光る君へ』藤原宣孝は紫式部が越前に行く前から猛アプローチしていた?結婚を決断するまでの「和歌のやりとり」
■ 藤原宣孝の思わぬプロポーズに戸惑いながらも結婚を決意したまひろ さて、越前にいるまひろ(紫式部)はといえば、都に戻って藤原宣孝のもとに嫁ぐことを決める。宣孝はまひろの父である為時の親戚で、かつ元同僚でもある。それだけに、娘から決意を聞かされた為時は、思わず腰を抜かしてしまう。 しかし「父上が不承知ならばやめておきます」というまひろに「いやいや、不承知とまでは言うておらんが……」と心配しながらも、娘の判断を受け入れている。 ドラマでは宣孝のいきなりの求愛によって急接近した2人だが、実際には、紫式部が越前に行く前から、何らかのアプローチがあったのではないかと言われている。 式部が詠んだ和歌の詞書によると、越前に下向した翌年、長徳3(997)年に「唐人見にゆかむ(唐人を見に行こう)」と、式部に手紙を送ってきた人がいたという。「唐人」とは当時、若狭国に漂着していた70人あまりの宋人のことである。 その人はさらに「春は解くるものと、いかで知らせたてまつらん(春は解けるものだと何とかあなたにお知らせ申し上げたい)」というメッセージも式部に伝えている。 これは「君の心も私に打ち解けるべきだよ」という意味だと解釈できるので、男は以前から式部にアプローチしていたのだろう。この相手こそが、のちに結婚する宣孝だとされている。式部は次のような返事をしている。 「春なれど白嶺(しらね)の深雪(みゆき)いや積もり解くべき程のいつとなきかな」(春ではありますが、こちらの白山の深い雪にさらに雪が積もり、いつ解けるかも分かりかねます) 「あなたに打ち解けるなんていつの日になることやら」と、うまく相手をあしらっている。だが、和歌を何度かやりとりするうちに、心を許す関係になったらしい。式部は宣孝との結婚を決断し、越前を後にすることとなった。 次回「決意」では、まひろが京に戻ってくるなか、道長は宣孝との結婚を知らされることになる。激動の回となりそうだ。 【参考文献】 『新潮日本古典集成〈新装版〉紫式部日記 紫式部集』(山本利達校注、新潮社) 『現代語訳 小右記』(倉本一宏編、吉川弘文館) 『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫) 『紫式部』(今井源衛著、吉川弘文館) 『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著、講談社現代新書) 『敗者たちの平安王朝』(倉本一宏著、KADOKAWA) 『藤原伊周・隆家』(倉本一宏著、ミネルヴァ書房) 『偉人名言迷言事典』(真山知幸著、笠間書院)
真山 知幸