31歳で箱根駅伝を走った今井先生率いる藤中が中学駅伝日本一 恩師の徳本一善監督が祝福「指導者として必要な情熱を持っている」
全国中学校駅伝が12月15日、滋賀・野洲市の希望が丘文化公園で行われ、男子の部(6区間18キロ)で、埼玉・鶴ヶ島市立藤中が57分17秒で初出場初優勝した。1区で斎藤駿が1年生ながら首位と19秒差の14位と健闘すると、2区でハサヌディン知輝(3年)が11人抜きで区間2位の力走で3位に浮上。3区の古西祐翔(3年)、4区の塚原泰志(2年)が懸命にタスキをつなぎ、3位をキープした。5区の久野温正(3年)が首位の静岡・浜松市立細江中と8秒の2位に浮上。今年8月の全日本中学陸上3000メートルで5位入賞したエースの植松遼(3年)が9分7秒の区間新記録の快走で逆転優勝を飾った。 初出場初優勝の快挙を成し遂げた藤中を率いるのは、駿河台大OBの今井隆生先生(34)。2022年の第98回箱根駅伝で初出場し、19位となった駿河台大の一員として当時31歳で4区を走った経験を持つ。教師、指導者として奮闘する今井先生について、駿河台大時代の恩師の徳本一善監督(45)は「全国優勝は見事です。立派ですよ。おめでとう」と祝福した。 日体大出身の今井先生は、20年4月に「もっといい先生になりたい」という思いで教員の「自己啓発等休業」を活用し、駿河台大心理学部3年に編入学した。同時に東京・大泉高時代からの夢だった箱根駅伝出場を追いかけ、駅伝部に入部。1年目は予選会で敗退したが、ラストチャンスの2年目に駿河台大の初出場に貢献した。22年1月の本戦では4区に出走。区間最下位に終わったが、タスキを埼玉・越生中教師時代の教え子でもある5区の永井竜二(当時3年)に託した後、徳本監督が運営管理車から「2年間、ありがとう。謝ったらブッ飛ばすから!」と独特の表現で今井先生をたたえたことは箱根駅伝史に残る名場面となった。 22年4月、教師に復帰。飯能市立南高麗(こま)中学校を経て、昨年4月に藤中に異動。今年は陸上部を指導しながら2年1組を担任している。この日、懸命に走る教え子の姿に今井先生はレース中に感激の涙を流した。「子供たちが持っている力は無限大です」としみじみと話した。 駿河台大時代に苦楽を共にした徳本監督は今井先生に最大限の賛辞を送る。 「今井は指導者として最も必要なものを持っています。それは『情熱』です。選手が持つ『情熱』は自分のためですが、指導者は違う。選手『やりたい』という気持ちを引き出すための『情熱』です。それがなければ選手はついてきません」 徳本監督は、まさに情熱を込めて力説した。その上で、技術的な指導にも注目。「きょう、藤中のみんなは持てる力を発揮したと思います。それは直前の心身の調整がうまくいったということでしょう」と解説した。 徳本監督と今井先生の絆は固い。2人は今井先生が駿河台大に編入学する前は社会人同士として時に酒を飲み交わす仲だったが、20年4月に編入学した際、徳本監督は「監督と選手の間、お前と一緒に酒を飲まないからな」と通告し、今井先生も「分かっています」と即答。お互い、その約束を守り、22年1月に箱根駅伝が終わった直後に、約2年ぶりに酒席を共にした。 今井先生は「徳本監督に学ぶことは多いです。これからも徳本監督の背中を追いかけていきます」と話す。徳本監督は「僕も指導者として、まだまだ勉強中です。今井に負けずに頑張りますよ」と笑顔で話した。 ◇埼玉県鶴ヶ島市立藤(ふじ)中学校 1979年4月、開校。所在地は鶴ヶ島市藤金。生徒数は約500人(各学年5クラス)の中規模校。学校教育目標は「ともに学び、未来を拓(ひら)く たくましい生徒の育成」。主な陸上部OBは名倉雅弥(86年アジア大会男子200メートル銅メダル)、伊地知賢造(21年全日本大学駅伝8区区間賞)。 ◇今井 隆生(いまい・たかお)1990年8月31日、東京・保谷市(現・西東京市)生まれ。34歳。大泉高では陸上部。2009年に日体大入学後、トライアスロンに転向。13年に卒業し、トライアスロン実業団ケンズへ。16年に引退し、その後、埼玉県の中学校教員に採用された。20年4月に教員の「自己啓発等休業」を活用し、駿河台大心理学部3年に編入学。22年箱根駅伝4区に出場し、区間20位。同年春に卒業し、教師に復帰。自己ベスト記録は5000メートル14分11秒10、1万メートル29分26秒99、ハーフマラソン1時間4分11秒。マラソン2時間19分24秒。165センチ、52キロ。
報知新聞社