優しいのがよい教師?ほめて伸ばす時代にあるべき「上級の叱り」指導法
叱らなければ子どもや保護者との間に波風は立たないが
ただし、「叱ることはいけない」「叱らなくてもよい」という考えで、子どもの指導が十分できると勘違いしないでほしいのです。 例えば、身の安全を脅かす行いや、弱い子をいじめたり、利を得るために友達をおとしめたりといった、人として明らかに間違っている行いに対しては厳しく叱る必要があります。親もそうですが子どもも「本当に自分のためを大切に思っていれば、ダメなことはダメだと指導してほしい」と思っているはずです。 確かに、叱らなければ子どもや保護者との間に波風を立てることはないように思われます。しかし、それは一時だけのことです。私たち教師が考えている以上に、子どもは自分の力を伸ばしてほしいと望んでいます。親はわが子に豊かな人間性を育んでほしいと望んでいます。いざという場面で叱らない教師を信頼する親や子はいないでしょう。 明らかに間違ったことをしているにもかかわらず真剣に叱ってくれない教師は、子どもや親にとって、「自分(わが子)に無関心な教師」と受け取られるでしょう。子どものためと思ったことは、必ず指導するのが教師というものです。 「叱り」には、教師が子どもに真剣に向き合う姿勢が表れます。教師の姿勢に、自分(わが子)に対する真剣度を感じれば、子どもからも親からも信用を得ることになるはずです。反対に、叱るべきところで子どもを叱れない教師は、いずれは保護者からも子どもからも信頼を失い見限られることになってしまいます。
優しい、親しい教師が「子どもを理解しているよい教師」?
一般的には、子どもは叱る教師より優しい教師が好きです。優しさや親しさは、子どもとの人間関係を築くために必要な要素であることに間違いはありません。しかし、それらが「本当に子どもの将来を考えたうえで」の優しさであるかどうか、よく考えてみる必要があります。 単に、子どもとの関係を上手にやりたい、子どもに嫌われたくないという理由で子どもを叱ることから逃げてはいないでしょうか。もし、そうあれば、その教師は本当に優しい教師とは言えません。学校が子どもにとって学びの場であり、教師が子どもにとって教える人である以上、「叱り」という教育的行為から逃れることはできません。子どもは、叱られることによって学び、自分を向上させていく存在であると言っても過言ではないからです。 しかし現在は、優しい教師や子どもと親しい教師が、子どもを理解しているよい教師であるかのような風潮があります。若い教師の中には、叱りに対してマイナスイメージを抱いている人が増えているように感じます。 ここ数年、「叱らない指導」「ぶつからない指導」といった言葉を耳にするようになりましたが、「叱りは、子どもとの信頼関係を崩す」「叱りでは子どもは伸びない」と、捉えてしまう若い教師が少なくないように感じます。 しかし、「叱らない指導」「ぶつからない指導」方法は、決して「子どもをまったく叱らない」というものではありません。些細な場面で子どもの言動に釘をさすことによって、厳しく指導しなくても子ども自身に自らの間違いを気づかせ改善していく指導法です。ですから、実は教師が叱って指導しているのです。 このような指導は、あからさまに厳しい態度で臨む状況に至らせないための叱り指導方法であると言うことができます。「叱っていない」のではなく「叱られたと感じさせない」指導のことであり、「上級の叱り」の類の指導方法とも言えるものです。 もし、経験も指導力も未熟な若い教師が、表面的な言葉だけを捉えて、「叱らなくても指導ができる」「叱って指導してはいけない」などと勘違いしてしまえば、必要な時に的確な叱りができない教師になってしまうおそれがあります。 「叱らない指導」「ぶつからない指導」とは、叱り技術に長けた名人級の教師が、長年の経験と研究によって身に付けた「叱り指導法」であって、決して叱ることを否定した指導方法ではないと、私は解釈しています。 とくに、集団生活のきまりを教え、生活習慣の基礎を教える小学校では、子どもを叱らないで指導することなど考えられません。叱ることで子どもを教え導くことは、時代が流れ、子どもたちを取りまく社会状況が変化し、人々の価値観が変化しても、変わることはありません。