わからないことだらけがおもしろい! 古代史の世界にアクセスするための学びと想像力
古代史は文献資料と考古史料で断片的にどんなことがあったのかがわかってきます。 しかし真実が見えてきたのかというと、「とんでもない!」といわざるを得ないのです。 ■未だ謎多き古代日本の情景に想いを馳せる 中国の歴史書にわずかに書かれた倭国の記事や、わが国の『古事記・日本書紀・続日本紀』などに描かれる古代の姿と、新発見が相次ぐ考古学調査の成果で私たちの祖先が営んだ生活の断片が見えてきます。 しかしながら「では真実が見えてきたのか?」と問われれば、「いえ、それはわかりません!」といわざるを得ません。なんとなく流れが見えてきたというところです。 ずっと時代を下って中世の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らの本当の人物像がよくわからないのですから、古代史に登場する人物が織りなす物語の真実性などわかるはずがありませんし、もっと現代に近い幕末の新選組や志士たちの真実だってわからないのですから仕方がありません。 でも歴史好きをワクワクさせるのは、そういう謎の部分を推理したり想像したりできる自由があるからなのでしょう。 なにもかもが動かしようのない真実で、疑う余地のない歴史だったら面白くもなんともないかもしれませんね。 神武東征の頃、敵対する「トミノナガスネヒコ」という王がいたという話があって、日本最大の円墳「富雄丸山古墳」から長大な蛇行剣や盾形銅鏡が出土すると時代の整合性はともかく、そういう人物、または王族が実際にいて伝説のように描かれる物語には真実が隠されているのじゃないかと思いたくなります。 私のお勧めする歴史観というか歴史遊びはそれが大切なのです。 奈良県の明日香村を何も知らずに訪ねると、のんびりとした田舎の風景に癒されるだけでしょう。しかしここがわが国古代の強大な権力の中心地だったわけで、蘇我馬子(そがのうまこ)・蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)や用明・崇峻(すしゅん)・推古(すいこ)天皇、そして聖徳太子が執政した場で、十七条憲法を発布し冠位十二階を施行、さらに小野妹子を隋国に派遣し裴世清(はいせいせい)を迎えたところ、大化の改新の序章である乙巳の変(いっしのへん)という大政変、そして壬申の乱で奪い合いの大激戦になった現場であるわけです。 明日香村を訪ねて甘樫丘(あまかしのおか)という標高148mの万葉展望台から東を臨めば、そこは真神原(まがみのはら)と呼ばれた飛鳥時代の一等地で、小さく見える飛鳥寺を見ていると古代政治の中心地が妄想の中に広がります。壁のように迫る山々こそ青垣山と詠われた山で、その稜線や風景は飛鳥時代の人々が毎日見て暮らしたまんまの姿なのです。なによりあなたが今立っている甘樫丘は乙巳の変で蘇我本宗家が滅んだ現場なのです。 古代の真実はわかりませんが、現場に立つと真実を感じることができます。古代史に登場する人物の姿かたち、どんな声で、どんな笑顔だったのか?と、百人百様に想像すれば良いのです。そうすると、生き生きとした古代の姿が見えてきます。国造りに必死だった時代の人たちの息吹が感じられると思います。 真実が誰にもわからないということは、自分の中に想像を膨らませて自由に古代を感じることができるということです。そのためにはまず、さまざまな良書を読みましょう。そこで何があったといわれているのかを知りましょう。 そこに登場する人々が何をしたと記録されているのかを知りましょう。そして現地を訪ねて、ゆっくりと風景を見て風を感じて匂いをかいでください。あなたのオリジナル古代観が目の前に広がると思いますよ。
柏木 宏之