中国「10歳男児」刺殺事件はなぜ起きたか 背景にあった「ナチュラルな反日意識」と「日本人への社会的報復」
日本=打倒しても良い悪という観念
その理由は2つある。第一に中国の反日意識の強化だ。 一例を挙げよう。事件が起きた9月18日は満州事変の起点となった柳条湖事件の記念日、中国現地では「918」と呼ばれ、日本企業や在中日本人はこの日は目立つ行動をひかえることが”常識”とされている。だが、実は918がここまで重要視されるようになったのは最近の話だ。 もともと中国の歴史教科書では、日本との戦いは「八年抗戦」、すなわち1937年7月7日の盧溝橋事件から終戦までの8年間として教えられていた。それが現在では1931年9月18日の柳条湖事件を起点とする「十四年抗戦」へと変わっている。習近平総書記が2014年の中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム勝利69周年記念座談会で言及した後、2017年から教科書に記載されるようになったとされる。 これはたんなる歴史観の修正にとどまらず、悪しき日本軍国主義を打倒したという意識の強化につながり、日本を叩くのは正義という潜在的意識を強めるものになった。根っから日本人が嫌いという中国人も少なくないが、それ以上に広がりを持つのがナチュラルな反日意識だ。 「日本兵が刀を振るい、1人(中国語で一口人)を殺しました。地面に流れた血が四滴」 これは中国の小学校でよく出てくる謎かけだ。正解は「照」という漢字になる。日本嫌いではない人たちも、特に問題視することなくこうした謎かけで遊んでいる。こうしたことの積み重ねが社会の中に、日本=打倒しても良い悪という観念を広めていることは否めない。 近年、日本の着物を着ている、中国で盆踊りを開催した、商品名やブランド名に日本語を使った、日本の建物を模倣した……などなどの理由で吊し上げにされる個人、企業が後を絶たないが、日本=悪の社会通念から過度なバッシングが止まらない。
今後も同様の事件が起きる公算は高い
第二に中国では社会的報復と呼ばれる、不満を抱いた人々による弱者への襲撃事件が頻発していることが挙げられる。ウィキペディア中国語版には「中国学校襲撃事件」なる項目がある。小学校だけでも3件が掲載されている。8人が死亡した福建省南平市小学校襲撃事件(2010年)、2人が死亡した上海市外国語小学校襲撃事件(2018年)、10歳男子が死亡した江西省上饒市小学校殺人事件(2019年)だ。記録されているのはごくごく一部に過ぎない。日本を訪問した中国人は、子どもだけで登下校する日本の安全性に驚くが、裏を返せば中国では子どもを守るためには親が付き添う必要があると考えられているからだ。 こうした社会的報復事件の多くは、精神に異常がある人が起こした個別の事件として処理されてきた。日本の10倍以上の人口がいる中国だけに、異常な事件の数が10倍あっても当然ではある。とはいえ、社会に不満を持ち、かつ誰からも助けを得られない人が凶行に及ぶという構図は共通している。インターネットに書き込んでも共感や反応を得られず、政府に陳情しても相手にされない。だったら最後に大騒ぎを起こして注目を集めてやろうという破れかぶれの行動だ。 6月の蘇州、そして今回の深センと、2件の事件が短期間で連続して起きたのはなぜか。日本人の子どもを狙った襲撃事件ならば、国際社会まで含めたより大きな社会的反響を呼び起こせると認識された結果ではないだろうか。 となれば、何の対策も打たなければ、今後も同様の事件が起きる公算は高い。特に経済が低迷し社会に鬱屈した空気が蔓延しつつある状況であることを考えれば懸念は募る。「個別の事件」という決まり文句で幕引きするのではなく、惨事を止めるための実効的な対策が求められる。 高口康太 ジャーナリスト 千葉大学客員教授 1976年千葉県生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。中華人民共和国・南開大学に中国国費留学生として留学。中国経済、企業を中心に取材、執筆を続ける。著書に『中国「コロナ封じ」の虚実―デジタル監視は14億人を統制できるか』(中央公論新社)など。 デイリー新潮編集部
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