フィギュア吉田陽菜選手と松生理乃選手に密着 学業との両立、どん底を救った恩師の存在も
幼いころから、名古屋で切磋琢磨した仲
その吉田選手と幼いころから名古屋で切磋琢磨し―― グランプリシリーズで一緒に表彰台に上がった、中京大学の松生理乃選手。 「(吉田)陽菜選手と一緒に表彰台に乗れて自信になった」(名古屋市出身/中京大学 松生理乃選手) 跳び出しから着氷までがスムーズなジャンプに、柔らかいスケーティングを武器にグランプリシリーズ2試合ともに2位。 参戦5年目にして、念願のファイナル進出を決めました。 「感謝の気持ちでいっぱい。辛くてスケートを辞めようとしていた人とは思えないぐらい本当に幸せ」(松生選手)
ケガや体調不良に悩まされる日々
彼女が一躍脚光を浴びたのは、2020年。 ジュニアながら、飛び級でグランプリシリーズに出場すると、デビュー戦でいきなり表彰台。 若手有望株として、注目されました。 ところが―― その後に待っていたのは、ケガや体調不良に悩まされる日々。 大会途中で、棄権することもありました。 「けがや体調など技術面ではない所で、うまく力が発揮できず苦しい期間だったし、頑張っても少しも結果が出せないのは正直きつくて、辞めたいと思ったこともあった」(松生選手)
松生選手を近くで支える恩人の存在が…
そんな波乱万丈なスケート人生を、近くで支える恩人がいます。 10年以上、師事を仰ぐ山田満知子コーチ。 過去に、浅田真央さんや宇野昌磨さんなどのオリンピック選手を育てあげた名伯楽です。 「小さい頃から色んな苦楽を共にしてきた先生で、しんどかった時もいつも慰めて声をかけてくださって、たまにすごくきつく言ってくださったり」(松生選手)
「フィギュアスケートの楽しさ」を教えてくれた
9歳の頃、山田コーチのもとで競技を始めた松生選手。 中学までは、なかなか芽が出ませんでした。 当時、恩師が課題に挙げていたのは―― 「能力はジャンプ力もすごくあるけど、おとなしい子で華がないので、真っ赤な花でもつけてやらせよう」(山田満知子コーチ) それでも、今なお習うバレエで、細かい手の動きや表情の作り方を勉強。 猫背だった姿勢も改善してきました。 「(ジャンプを)降りた時の姿勢も全然きれいではなかったので、普通に滑っている時の姿勢もすごくきれいになった」(松生選手) そしてなにより、 「フィギュアスケートの楽しさ」を恩師が教えてくれたからこそ、練習漬けの日々を送る今があります。