『HAPPYEND』空音央監督 ノスタルジーを持って都市を切り取る【Director’s Interview Vol.440】
“人種”の定義とは?
Q:劇中では政治的にストレートな表現がたくさん出てきますが、若者たちが堂々と発信しているからこそ、心に訴えかけてくるものがありました。 空:概念的になるのではなく、物語としてちゃんとキャラクターが発する言葉になっている必要がある。そこは概念的にならないように気をつけました。日本人は政治的発言をしない傾向にあると言われがちですが、アメリカでもタブーに触れない空気はある。ちょうど今、私はパレスチナの国旗を身に付けていますが、驚くことにアメリカでこれに触れることはありません。ドイツでもそうらしいです。口を閉ざすのは日本だけの問題じゃないんです。 また、この映画で疑問視したかったものの一つに、“人種の定義”があります。“日本人とは何か”って、そもそも定義し得るものなのかと疑問に思うんです。定義できるのは国籍法に基づくものでしかありません。近代化以前はむしろ”郷土”としてのアイデンティティの方が強かったんではないかと思います。日本人として日本に住んでいる人を辿っていくと、多様なルーツやバックグラウンドに行き着くはず。“人種”という概念はそもそも定義できるものなのかと。 カテゴリーを決めるという行為は、人間の認識にとって必要なプロセスなのかもしれませんが、カテゴリーという枠組みを決めてしまうと、そこに綺麗にハマらないグラデーションが必ず存在し、そこから省かれる人たちが少なからず出てきてしまう。線で囲うという構造的な行為が排除的な制度に繋がり、この映画の中では学校の減点に繋がったりするのですが、それ自体が暴力的な行為ではないかと思うんです。 Q:映画が纏う空気には強い危機感と緊張を感じましたが、実はそう思わない人も多くいるかもしれない。そこに気付かされた感じもありました。 空:最終的には物語の核として「友情」を描きたい。その友情が崩壊する要因の一つが、コウの政治的な芽生えになっているため、友情にまつわる青春劇としてだけ観る人もいるかもしれません。ただ、先述した通り、この映画を作ろうと思ったきっかけの一つに、将来地震が起きたときに関東大震災で起こった虐殺が再び起こるかもしれないという危機感があります。映画を観た人にはその危機感が伝わっていると思いますが、それを受けとらずに観る人もいるかもしれない。そういう観客の意見もすごく気になるし、話し合ってみたいです。 Q:今回のようなテーマを、エンターテイメントとして映画化する意義をどのように感じていますか。 空:僕の映画はメッセージ性や主張が強いと思われがちですが、でも実際はメッセージを伝えるつもりはありません。本当に描きたかったのは友情の関係で、自分がその感情を抱えきれない状態だったので、それを外に出して形にしたいという気持ちがあった。その物語を成立させるためにたまたま政治性が重要だっただけで、最終目的としてそのメッセージを観客に伝えたいということでもありません。僕はプロパガンダを作りたいわけではない。むしろどちらかというと、詩やエッセイを書くように作ったというのが近いのかもしれません。社会性や政治性は、僕の日常の中にもあるし、キャラクターたちの日常の中にもある。それを正直に描いただけですね。
【関連記事】
- 『透明なわたしたち』松本優作監督×編集:松岡勇磨 感情をつなげる編集とは 【Director’s Interview Vol.437】
- 『満月、世界』塚⽥万理奈監督 演技未経験の子供が本人役を演じる意義とは【Director’s Interview Vol.435】
- 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』呉美保監督 自分とリンクした、出会いがもたらす心の変化【Director’s Interview Vol.432】
- 『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督×河合優実 運命的に出会った二人が生み出したもの【Director’s Interview Vol.429】
- 『愛に乱暴』森ガキ侑大監督 ワンシーン・ワンカットのフィルム撮影【Director’s Interview Vol.428】