〈10008〉とか「ゼロ」がなかったら、どう表す…?ゼロの発見、定説はインド。じつは、それより「1000年も前に発見」されていた
あの時代になぜそんな技術が!? ピラミッドやストーンヘンジに兵馬俑、三内丸山遺跡や五重塔に隠された、現代人もびっくりの「驚異のウルトラテクノロジー」はなぜ、どのように可能だったのか? 現代のハイテクを知り尽くす実験物理学者・志村史夫さん(ノースカロライナ州立大学終身教授)による、ブルーバックスを代表するロング&ベストセラー「現代科学で読み解く技術史ミステリー」シリーズの最新刊、『古代日本の超技術〈新装改訂版〉』と『古代世界の超技術〈改訂新版〉』が同時刊行され、続々と増刷しています! 【画像】インカ帝国の繁栄の背後にある「1万数千年のアンデス文明」の超技術とは それを記念して、両書の「読みどころ」を、再編集してお届けします。今回は、マヤ文明の高度な知識について見ていきます。なんと、「ゼロ(0)」の概念を、インドに先立って、世界で初めて見出したのもマヤだったというのです。
天文学の「知識の結晶」である建造物
古代マヤ人の天文学の知識は、建造物にも活かされている。 前回の記事で、マヤ文明を代表する世界で最も有名なピラミッドといえば、古典期終末期のチチェン・イツァ遺跡の「エル・カスティーヨ」ピラミッドであると述べたが、ここは毎年、世界中から数万人の観光客が集まる中米最大の観光スポットである。この「エル・カスティーヨ」には、古代マヤ人の天文学、暦が織り込まれている。 高さ24メートルの基壇の4面にはそれぞれ91段の階段があり、基壇の上にある高さ6メートルの神殿に続く1段と合わせて、合計365段となる。古代マヤでは、複数の複雑な暦(マヤ暦)が使われていたが、「エル・カスティーヨ」は365日暦、つまり太陽暦の神殿ピラミッドだった。
春分と秋分の日に「光の大蛇」が降臨する
春分と秋分の午後に限り、「エル・カスティーヨ」の北側の階段に太陽の光と基壇の影が「蛇神」を描き出す。この蛇神は「風と豊穣の神・ククルカン(羽毛の生えた蛇神)」とよばれている。 「エル・カスティーヨ」の基壇は磁北(コンパスの針が示す方向)から17度ほど傾けて建造されており、春分と秋分の日に北側の長さ34メートルほどの階段壁に「光の大蛇」が空から降臨するように設計された壮大な宗教的、政治的装置であった。 チチェン・イツァにはまた、長方形の基壇の上に立つ、円筒形の3層の高さ12.5メートルの天文観測所があった。内部には螺旋状の石の階段があり、その観察窓から春分と秋分の日没が観察された。 さらに、基壇の北東隅は夏至の日の出、南西隅は冬至の日の出の方角を指しているという(青山和夫著『古代マヤ 石器の都市文明 増補版』[京都大学学術出版会、21013])。この天文観測所が建造されたのは、基壇に立つ石碑の年号から906年と考えられている。
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