小諸城址懐古園で大活躍 車夫は二十歳の女子大学生 大学を休学して信州へ なぜ車夫に?
テレビ信州
県内各地で紅葉が見頃を迎える中、小諸市の小諸城址懐古園では人力車を運行する「車夫」が今、話題となってます。「車夫」として活躍するのは二十歳の女子大学生。彼女の素顔とは…。 新衣梨花さん。 「まずは元気にファイト出発。よっしゃ!エッサーエッサーエッサー」 カメラマンも追いつくのがやっとのスピード。圧巻の迫力です。 紅葉が見頃を迎えた小諸市の小諸城址懐古園。 人力車を運行するのは広島県出身で長野市在住の二十歳の女子大学生、新衣梨花さん。 「エッサーエッサー」 実は、新さんが車夫を始めたのは10月上旬。この日は18日目の勤務です。 台湾から観光客乗り込む 新さん 「ワントゥスリーどこからきましたか」 客) 「台湾」 新さん 「台湾?すごい日本が上手!」 客) 「まあまあ」 この時期、特に多く訪れるのはアジア圏からの観光客です。待っていたのは紅葉の絶景ポイント。 坂上りながら 「エッサーエッサーエッサー。あとちょとーエッサー」 息が切れてもトークは止まりません。 「懐古園ではね、この人力車からが一番紅葉がきれい」 新さん 「懐古園はね、お城の跡“Castle ruins”(城跡)だからきょうはお姫さま“You are princess” 楽しんでってね」 客)「ヒメサマ~」 英語も堪能でガイドには困りません。 乗り終えた台湾からの観光客 「モミジもキレイ。彼女も!全部イチバン‼っ」 都内の大学に通う新さん。実は現在、休学中なんです。 新さん 「自分の知らない環境に1人でいきなり飛び込んだというのは絶対に身体には影響があるのでそれにやられちゃったかな…」 進学で地元の広島を離れたこともあり、去年の秋から体調を崩しがちだった新さん。今年1月から休学し、地元には帰らず向かった先が信州でした。頼ったのは長野市で暮らす伯母でした。伯母と暮らしながら静養していた新さん。その頃、愛読していたのが車夫について書かれた本でした。 新さん 「独特な視点とスピードと人との直接的な距離感これは今スピード社会の中で失われつつあるものだと思っているので、おのおのが今見失っているもの再発見できるような」 元々、走ることが好きだったこともあり、車夫の仕事に惹かれていきました。体調が落ち着き始めた今年7月。新さんは伯母に連れ出され懐古園へ…。目的は人力車の乗車体験です。 伯母 黒川春水さん 「この仕事できたらいいな。アルバイトできたらいいなとは言いながらも様子が分からないから自分で本当にできるとは思ってなかった。私もちょっと女の子がなあ…と思ってたので」 その場で人力車を運行する「きらく屋」に直談判しました。 人力車のきらく屋 喜楽屋笑太さん 「何度この坂の前に挫折していった人がいたかっていうことですよね」 「車夫殺し」の異名を持つ園内の入り口にある斜度8度前後の坂。人力車を含めると200キロ以上の重量を引くことも珍しくはありません。 「それを自らね。引きたいっていうんであれば、もう全てはカバーできるだろうとそんな気持ちでした」 すぐに紅葉シーズン限定でアルバイトとして採用されることになりました。腕立て伏せやスクワットなど体づくりを行う日々。およそ2か月の訓練を経てデビューに漕ぎつけました。 伯母を乗せる 「どうぞ」 伯母と初めて訪れたあの日からおよそ4か月…。この日、新さんは伯母を乗せて出発しました。道中、客のために歌う特別な曲があります。 新さん 「(戦時中)ここに疎開してきたのは永六輔さんです。いじめられてここにね、毎日泣きに来ていたんです、この展望台に。でもそれじゃだめだと思ったご本人さんが日々の言葉を書き溜めてそれが上を向いてあるこうになったということで」 歌う「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように思い出す、秋!秋の日(夏から秋に変えて歌う)1人ぼっちの夜」 歌ったのは第二次世界大戦中小諸市に疎開していた永六輔さんが作詞した「上を向いて歩こう」です。 新さん 「いろいろ支えてもらいましたから、これからね。いただいた御恩を胸に上を向いて歩いていこうと思います」 伯母 黒川春水さん 「自分で親とか家族とか抜きで自分で初めて自分の居場所をつくったっていうことがまず大きかったかなと思うんですよね。良かった、お世話になって皆さんにもかわいがっていただいてありがたいなと思っています」 新さんが懐古園で車夫を務めるのは今月22日の1回のみ。来年4月には大学へ復学する予定です。 新さん 「見上げて紅葉がきれいだな、と思える心の隙間を養ってくれたのが私にとって人力車だと思っているのですごく感謝しています。ここで得たものを思い出したら絶対に頑張れると思うので…。絶対にかけがえのない思い出です」