「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実
日本国内だけでなく、アントニオ猪木は海外でも数々の名勝負を繰り広げた。その中でもファンにとりわけショックを与えたのが、1978年のローラン・ボック戦での敗北である。“シュツットガルトの惨劇”と呼ばれた伝説の一戦に至る『欧州世界選手権シリーズ』の実態を、同行した当時の新日本プロレス営業本部長・新間寿氏の証言を元に解き明かす。『G SPIRITS選集 第一巻-昭和・新日本篇』(G SPIRITS BOOK/辰巳出版)からの抜粋でお届けする。(全3回の第2回)1978年11月8日、ボックとの初戦で「右肩から骨が飛び出す」ほどの怪我を負った猪木は、痛みを隠しながら欧州の猛者たちとの対戦を続けていく。 【衝撃写真】「こんな大流血、大丈夫か…?」恐ろしいボックがアントニオ猪木の首根っこを絞め上げる! 猪木が“屈辱の敗北”を喫した伝説の一戦「シュツットガルトの惨劇」を当時の貴重写真で振り返る。 ◆◆◆
ヒートアップしていった猪木とボックの“遺恨”
そんなバッドコンディションでありながら、第3戦では元プロボクサーのカール・ミルデンバーガーと異種格闘技戦で激突。ミルデンバーガーは、66年にフランクフルトで当時のWBC世界ヘビー級王者アリに挑戦した地元の英雄である。 しかも猪木はチャック・ウェップナー戦で着用したオープンフィンガーグローブではなく、8オンスの普通のボクシンググローブを着用して試合に臨んだから無謀とも思えるが、延髄斬りでダウンを奪い、最後は逆エビ固めで勝利。この直後、ボックが仕掛けた。 「逆エビで勝ったところでボックがリングに入ってきて、“猪木は汚い。グローブをはめたなら、何でボクシングをやらないでプロレスの技を使うんだ。俺が今、ここでやってやる! ”ってね。そのままミルデンバーガーのグローブを着けて猪木さんとやろうとしたんだけど、結果的にはセコンドやレフェリーに止められて……なんてこともあったね。そういう感じで2人の遺恨がうまい具合にヒートしていったんだよ」 つまり、ボックはレスラーとして“アリと戦った男”を倒すだけでなく、プロモーターとしてもシュツットガルトでの本番をいかに盛り上げるか考えていたのだ。
【関連記事】
- 【続きを読む】「実際、ボロボロ。右肩をぶっ壊され…」アントニオ猪木が屈辱の敗北…“シュツットガルトの惨劇”を経て、ローラン・ボックがイノキに感謝した真相
- 【衝撃写真】「こんな大流血、大丈夫か…?」恐ろしいボックがアントニオ猪木の首根っこを絞め上げる! 猪木が“屈辱の敗北”を喫した伝説の一戦「シュツットガルトの惨劇」を当時の貴重写真で振り返る。
- 【初回から読む】「右肩から骨が飛び出し…」“テレビ中継されなかった”アントニオ猪木の大怪我…腕折り事件から2年後、“シュツットガルトの惨劇”には伏線があった
- 【名作】「おい、張本おれへんのか」“大阪で一番ケンカが強い”張本勲との決闘未遂…大阪のヤンチャな高校生がアントニオ猪木と同門レスラーになった日
- 【大乱闘】アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」