ヒザを人工関節にして復帰の堀田祐美子、神取忍との対抗戦&格闘技戦が蘇る!
「思い返せば、あの人(神取)がいたからこそ、自分はここまでこれたんですよ」
93年9・29名古屋での全女vsLLPWでおこなわれた初シングルは、神取が勝利。対抗戦時代がピークを越え、全女から大量離脱があったあとも2人の闘いは続いた。98年3・21後楽園では2冠戦がおこなわれ、LLPWシングル王者の神取が堀田からWWWA世界シングル王座を奪取。99年3・10代々木で堀田が奪回するまで、神取は全女の至宝をその腰に巻いていたのだ。 「お互いの闘いに対する志向というかスタイルが一緒だったんだよね」と、堀田。試合を通じ、2人は共感し合える仲になっていく。 また、純粋なプロレスに加えて2人を引き付けたのが、格闘技路線だった。95年7月にLLPWが女子初の総合格闘技「L-1」を開催。全女からは堀田がエントリーされたのである。 「あの頃、私は腐っていたんですよ。というのも、後輩が台頭しはじめて、私のカードが前半で組まれるようになっていたの。そんなときにL-1に呼ばれた。実際には空手をやってただけだからかもしれないし、しかも相手としてあてられたのが、LLのプロレスラーで遠藤美月。あのときはどう見ても格下でしょ。ここで負けたらシャレにならないし、もしも負けたらもうやめようと思ってた」 しかも、メディアでは遠藤のトレーニングの様子が詳細に伝えられている。真剣に取り組む遠藤の様子を見て堀田は焦った。負けたら引退との思いがますます大きくなった。 「当日、ひとりで会場入りしたの。そしたら控室を間違っちゃって、迷っていたらアリーナから私の音楽が聞こえてきたのね。リハーサルの最中だったんだけど、照明とかものすごい演出で、こんな素晴らしい環境で闘えるのに、どうして私は負けることばかり考えているんだろうと自分が恥ずかしくなって涙が出てきたんですよ。そこで思ったのが、やめたらこんな場所でもうできない、こんな幸せなことないじゃん、勝てばいいんだって。そのときに吹っ切れました」 そして堀田は、無我夢中で遠藤戦を突破。つづくグンダレンコ・スベトラーナ戦では敗れるも、グンダレンコは神取も破り優勝したのだから悔いはない。39年のキャリアの中で、自分から引退を考えたのはこのときだけだ。 その後も、堀田と神取は格闘技路線でも関係が続いた。96年8月の武道館2連戦では、ベテラン&新人が組むタッグトーナメントの向こうを張り、堀田が最終的にはロジーナ・イリーナに敗れるも格闘技トーナメントで主役を張った。2000年10・22には「L-1 2000」にてシングルをおこない、神取が堀田を破っている。 以来、神取は堀田に対して絶大な信頼を寄せている。16年の大みそかに予定されていたRIZINでのギャビ・ガルシアとの一戦を前に、神取は肋骨骨折で欠場。すると神取は無理を承知で堀田に出場を依頼した。もちろん、堀田自身も無理だとはわかっていたのだが…。 「あのときはもう格闘技から離れて10年くらい経ってたし、(格闘技の)練習もしてないから無理だよって。でも、神取忍だったから受けたんです。それは神取との友情でもあるし、(対抗戦時代から)男気ある神取に燃えさせてもらったから。私の気持ちをあれほど燃えさせてくれた人、ライバルはいない。だから無理を承知で受けました」 案の定、堀田はガルシアに敗れた。が、神取が腐っていた自分を奮い立たせてくれるきっかけを作ったことに感謝している。その感謝の印が、RIZINへの緊急参戦だったのだ。そして人工関節の手術を経て、再びリングで対峙できる。 「思い返せば、あの人(神取)がいたからこそ、自分はここまでこれたんですよ。全女での大量離脱もバネにして強くなれたし、神取が格闘技戦というものに対するきっかけを作ってくれた。ここ数年こそ関わりがなくて、このままなくなっちゃうのかなとも思っていたけど、還暦祭出場の声がかかってメチャクチャうれしかったんですよね。また(神取と)闘えるんだなって。リングで向き合えば、あの頃のバチバチした関係が蘇る。だからこそヒザの手術をしてよかったと思えるし、これからもプロレスで向き合っていきたい。向こうも若い子(NØRI、キャサリン.、ひなた乃彩)を育てているし、私もT-HEARTSで(しゃあ、叶ミク)育てている。これからはそういう部分でのライバルでもあるし、(2人が指導する)若い子たちが闘っていくのもおもしろいかなって思いますね」 <インタビュー/写真:新井宏>
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