「真面目すぎる学生」が急増中…若者たちを「思考停止」させる「日本の大問題」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「殺人的豪雨」でも登校する「真面目すぎる学生」が急増中という日本の大問題 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
殺人的豪雨の中でも登校する大学生
上から命ぜられたことをただ守る。「法律だから」「規則だから」「政府が言うから」という理由で何も考えずにひたすら守る。それは、保身のために思考を止め、ただ多数派の群れの中にいたい、そして支配されていたい、その結果何が起ころうと自分は責任を負いたくないという心根の表れである。 しかし、命令を下した権力者や法律は、自分らに忠実なそういう人々がどうなろうと知ったことではない。 結局、法律や規則、命令と向き合って、それに従うことによってどういうことが起こるのか、それが良いことなのかどうか、自分で真剣に考えて行動する方がましであろうと思う。そのように考える姿勢は、一般的に法を尊重する生き方と矛盾するわけではない。 最近の大学生は真面目である。痛ましいほど真面目である。 たとえば、未明から防災速報アラームが次々と鳴り、気象情報は大雨警報を発し、早朝からJRの一部区間が運転を取りやめ、さらにその区間が拡がりそうな気配の中でも、「大学から休講の連絡がないから」といって危険を冒して一時間目の講義出席のために登校するのである。 「こんな大雨じゃ外出したらヤバいかも。帰れなくなるかもしれない。安全のために休もう」と自分で判断せず、ひたすら「大学からの指示」の有無で行動するのである。 理由は「もしかしたら講義があって、出席をとるかもしれないから」というものだ。出席と身の安全と、どちらが大事なのだろう。
大学生が「真面目」になってしまう理由
とはいえ、現代の大学生を「自分で判断しない指示待ち」と批判するのは彼・彼女らに酷である。 現代の大学生がこんなに悲しいほど真面目にならざるを得ないのは、大学なのに出欠をとるようになったこと(小学生じゃあるまいし)、そして(昔はなかった)半期15回講義のルールができて、大学が極力休講にしなくなったことなど、文部科学省による大学への縛りがきつくなったことによる。 今から40年近く前までは、15回ルールはおろか、シラバスもレジュメも板書もなく(休講も結構あったなぁ)、今の文科省から目一杯ダメ出しされていたであろう大学教育だったが、それだからこそ学生は「こんな教授陣には頼れない」(但し研究面ではすごい教授陣が多かったが)と危機感を覚え、「自分でどうすべきか」と真剣に考え、自力で必死に勉強した。 それだからこそ山中伸弥教授など、ノーベル賞を受賞するような優れた人々が現れたのである。 今の大学も大学である。とにかく近年は、私立大学さえお上の言うことを無批判的に、アホみたいに聞くから、純粋培養されたよい子たちの学生までそうなってしまった。 こんなに真面目な学生たちは卒業して就職しても、たとえ豪雨だろうが、ヤリが降ろうが、川が決壊しようが、火山が噴火しようが、地球が滅亡しようが、会社から指示がない限り、ひたすら時刻を気にしながら職場に向かうのだろう。 さらに連載記事<「売春」は「絶対にしてはいけないこと」なのか…その答えを真っ二つに分けてしまう、誰もが知っているが「じつは超あやふやな概念」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美