「球団から何も言ってこないんや…」 阪神「岡田監督」肉声が明かす退任のドロドロ 角会長は続投を希望、しかしタイガース側の“回答”は…
選手ともマスコミとも
かくもねじれた岡田と球団との関係。 岡田が“ズレ”を感じていたのは、対球団だけではない。今季、ある主力内野手は打撃スランプに陥った。岡田はコーチを通じ、打撃フォームに関するアドバイスを盛んに送ったが、その主力は実行することはなかった。これを聞いて岡田は「あいつは新しいことを取り入れる気持ちがないんやな」と語っている。 マスコミとの関係もそうだ。この4月、岡田が記者の取材を長期間拒否したことが話題となった。原因は、開幕3連戦の巨人戦、続くDeNA3連戦を続けて1勝2敗と負け越した際、岡田がこれを「想定外」と発言したことが報じられたこと。これを岡田が嘘を書かれたと怒った。「想定内」と言ったというのが岡田の言い分で、結果、ひと月以上取材拒否となったのだ。 この一件、マスコミには岡田の暴走というニュアンスで報じられたが、実は岡田自身、自分が間違えて「想定外」と発言したことはわかっている。岡田の真意はこうだ。昔の記者であれば、日頃の深い付き合いの中で、自分の考え、言葉のニュアンスがどのようなものかはわかっている。だから間違えて「想定外」と言ったからと言って、そのまま書くようなことはしない。しかし、今の記者は発した言葉を考えもせずそのまま書いてしまう。そうした日頃の姿勢に納得できなかった――。
歩いただけで膝が…
岡田はこの11月で67歳を迎える。この2年、球団とのギクシャクした関係だけでなく、子どもや孫のように年の離れた選手や記者たちとのコミュニケーションに苦労したのは間違いない。そしてそれは確実に身体を蝕んでいった。 岡田は繰り返し語っている。 「年は隠せない。試合前に(他球場の)人工芝を歩いただけで、膝ががくがくする」 遠征先では食事もホテルで取り、宿舎からは一歩も出なかった。オリックスの監督時代(2010~2012年)は、遠征のナイターの試合を終え、次の日には朝早く大阪に帰り、友人とゴルフをするスタミナと気力があったが、今回は、それは無かった。 「朝がきつい。今の選手は夜遊びしないから朝起きるのが早い。けろっとしているのを見ると、余計に年を感じる」。そうぼやいた。 「後進に道を譲ることが重要だ。それが未来の阪神に繋がる」。退任を受け、岡田は知人にそう伝えている。 昨年、日本一となり、歓喜の胴上げの中心にいた岡田。しかし、その内実はかくも「孤独」だった。それに耐え、結果を出し、そして心身共にボロボロになっての退任。まさに“全身タイガース”、“全身野球人”を貫いた2年間だったと言える。 吉見健明(よしみ・たけあき) スポーツジャーナリスト。1946年、東京生まれ。法政一高、法政大で野球部に所属し、同期・田淵幸一の控え捕手を務めた。同じく同期の山本浩二、明治大・星野仙一らとも親交を深める。卒業後は銀行勤務などを経てスポーツニッポンの記者となり、野村克也氏の南海監督解任などをスクープする。報道部副部長を務めた後、1991年に独立し、以後はフリーのスポーツジャーナリストとして活動している。 デイリー新潮編集部
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