宇野亞喜良が語る、イラストレーターとしての歩み、セクシュアリティ、戦争。大規模個展「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」を機にインタビュー
宇野亞喜良インタビュー
1960年代の日本において、「イラストレーション」「イラストレーター」という言葉を広め、時代を牽引してきた宇野亞喜良(1934~)。その初期から最新作までの全仕事を網羅する、過去最大規模の展覧会「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」が、東京オペラシティ アートギャラリーにて開催中だ。会期は4月11日~6月16日。 本展を機に、宇野のオフィスにてインタビューをする機会を得た。横尾忠則や和田誠らとともに「イラストレーション」の時代を作った1960年代から現在までの仕事の歩み、そして社会との向き合い方など、話題は多方向に及んだ。【Tokyo Art Beat】
「君の絵はセンチメンタルだね」と言われて
──この度の個展は、ポスターや出版物といった様々なメディアで発表されたお仕事を中心に構成された大規模なものです。1950年代から活躍されてきた宇野さんは、どのようなきっかけでデザインやイラストレーションの道に進むことになったのでしょうか。 僕はなんとなく絵が好きな子供だったので、図案科のある名古屋市立西陵高等学校(現・名古屋市立工芸高等学校)に入学しました。それでその頃、演劇をやっている先輩に頼まれて絵を描く機会があったのですが、渡したときに「君の絵はセンチメンタルだね。それだとこれからの日本を作っていけないよ」と言われたことがあったんです。 だからデザイナーとかイラストレーターになれば、 自分の思想をダイレクトに絵にするわけではないので、気質にも合ってるんじゃないかなと思ったんです。ちょうどそのころコンペで賞をもらったりもしていたので、こっちのほうが良いなと考えたんですね。 その後60年に、オリンピックのポスターを作った亀倉雄策や、原弘、山城隆一という当時の三大巨匠が中心になって設立された銀座の日本デザインセンターに誘われて入りました。そしてそこに横尾忠則も入ってきて、近くにオフィスのあったライトパブリシティには和田誠がいました。だから3人でよくお昼を食べたてたんですね。 そしてちょうどそのころアメリカでは、プッシュピンスタジオというデザイン会社がイラストレーティブなデザインをやっていて、「イラストレーション」っていう言葉がいいなって3人で話してたんです。それで作ったのが、東京イラストレーターズ・クラブでした。まだその頃はあまり一般的な言葉ではなかったのですが、じきに平凡出版の雑誌や、『話の特集』なんかが僕たちの仕事をイラストレーションと表記してくれるようになりました。 ──『話の特集』は和田誠がアートディレションをてがけた雑誌でしたよね。 そうですね。和田誠は栗田勇さんの「愛奴」というちょっとおしゃれで、エロティックな小説のイラストレーションに続いて、まったく違うテイストの寺山修司「繪本千夜一夜物語」のイラストレーションを描かせてくれました。彼には僕のスタイルが持っている幅みたいなものが見えていたと思うんです。だから真面目なものも、ふざけたものも平気で依頼してくれる。雑誌のレイアウトも面白くて、いろんなことをやらせてくれました。