箱根駅伝復路7区名物“フリーザ軍団”今年も登場、鳥山明さん死去後初の正月「さみしいです」
箱根駅伝の復路7区の沿道名物となっている白タイツの“フリーザ軍団”が2025年の101回大会でも姿を見せた。 【写真】沿道で赤ちゃんを抱っこするフリーザ軍団 「はあはあ、ぜいぜい」と荒い呼吸をはきながら国道1号のコースを駆け上っていく選手らの激闘を応援しながら、白いタイツで、“ブリンバンバンボンダンス”や“ギリギリダンス”などで飛び跳ね、グルグルと旋回しながら、ラグビーのラインアウトを組むような合体技も披露して、沿道の一般ファンからも大喝采を浴びた。 午前7時には千葉知宏さん(54)と井上正律(まさのり)さん(55)が「東海道線に乗って来ました。テレビ観戦していて、チラチラ見えていたフリーザさまに会いにきました」と話し「写真撮れて感激です」と大喜びで話していた。 「がんばれー」「いけるぞー」などと沿道の観客らと一緒に声援を送った。出場する各大学の応援団やチア部員らからも「僕らもフリーザ軍団を応援してます」と声をかけられた。周囲からの声を受けて「寒いとか言ってられない。注目されるとやる気になります」と何度もダンスを踊りながら気合を入れた。 白いタイツを全身にまとう、見るからに寒そうなスタイル。腰などに簡易カイロを貼り、暖をとっていた。「宇宙空間も寒いけど、二宮付近の午前9時過ぎは寒いですねぇ。地球は温暖化に向かっているらしいけど、日本の正月はしっかり寒くなるんだね」と二宮付近の住民ではなく、宇宙からの使者としてのスタンスはブレなかった。 最初はフリーザ軍団のリーダーが1人で沿道の応援をしていた。「この押切坂は大学関係者も誰もいない寂しい場所だった。7区では上り坂で選手はとても苦しいはず。応援を辞める気は1度もしなかった」とリーダーは語った。箱根から山を下ってきて、小田原の城下町を走り抜け、いくつもの橋を越えて、選手らにとっても足が上がらなくなる押切坂。抜きつ抜かれつのデッドヒートが繰り広げられ、沿道の観戦客も自然と力が入る。フリーザ軍団の出没する場所との評判もあって、復路における応援名所となった。 06年、リーダーは全身真っ黒のコスチュームで押切坂に立っていた。当時大流行だったマイケル・ジャクソンさんを模して応援。しかし黒は目立たないということを学習し、蛍光色などのキラキラをまとってみたという。08年には白いタイツが目を引くのではないか、と決意して人気漫画「ドラゴンボール」の「フリーザ」を名乗って、11年から軍団が5人体制になったという。 18年から「魔人ブウ」が加わり、19年からは原作にはいないものの正月らしくサケの切り身の化身「シャケーザ」もメンバー入りした。21、22年は新型コロナウイルスのまん延もあって「集まりすぎると問題になるから、宇宙空間から静かに、宇宙船のモニターから観戦した」と話す。 昨年3月、ドラゴンボールの原作者、鳥山明さんが他界した。リーダーは「僕らをつくってくれた鳥山明先生のいない初めてお正月。さみしいです」と話し「でも、一生懸命、心を込めてランナーの背中を押したい」と胸に手をあてた。「箱根駅伝が続く限り7区の選手たちは同じ気持ちで応援したい。では、また宇宙空間に戻りますんで…来年もお会いしましょう」と背中から湯気が立ち上るぐらいにポカポカした体で、宇宙船に引き返していった。【寺沢卓】