文学少女がストリッパーに…!? 伝説のストリッパー・一条さゆりに異例の「2代目」、その誕生秘話を大公開!
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第90回 『「ようやく普通の主婦になれる」…逮捕歴あり・バツ2の伝説のストリッパーが辿り着いた「最期の結婚」』より続く
「一条さゆり」の特別さ
ストリップ界には歌舞伎や落語のような一門はない。名跡さえ珍しく、「2代目」の存在は、それだけで「一条さゆり」がいかに特別であるかを物語っている。 2代目を襲名したのはポルノ女優、萩尾なおみだった。58年、福岡市のサラリーマン家庭に生まれている。初代がストリップ・デビューした年である。 筑紫女学園高校時代、野口雨情の童謡と過激なロック、極端に憂鬱な作風で知られる米作家、ヒューバート・セルビー・ジュニアの小説と寺山修司の詩集を楽しんだ。音楽にせよ文学にせよ、平凡を避け、極端を好む高校生だった。若いころは、「夢はミュージシャンのお嫁さんになること」と書いている。とにかく才能ある男性が好きだったようだ。
ピンク映画の世界へ
日本大学芸術学部に入ってすぐ、映画好きの友人と一緒に池袋・文芸坐地下の映画館に入り、オールナイト上映されていた「にっかつロマンポルノ 田中登特集」を見た。 田中登は『一条さゆり 濡れた欲情』を撮った神代辰巳と並ぶロマンポルノ界のエース監督である。明治大学在学中に黒澤明の『用心棒』の製作チームに加わり、卒業して日活に入る。デビュー作『花弁のしずく』はロマンポルノの質の高さを象徴する映画の一つに数えられた。萩尾は芹明香や山口美也子といったアングラ系女優から女性の強さ、新鮮さを感じ、ポルノに興味を抱いていく。 大学3年のとき、『平凡パンチ』のヌードグラビアにならないかと声を掛けられ、「1回くらいいいかな」と軽い気持ちでカメラの前に身をさらした。 卒業論文を書き上げたところ、ピンク映画の監督、向井寛に誘われ、新東宝の正月映画『刺青奴隷夫人』でデビューする。その後、新劇でも活躍している。 しばらくすると、彼女はピンク映画の世界に違和感を覚えはじめる。「にっかつロマンポルノ」はアイドル路線を突き進み、「田中登特集」にあったアングラ感はすっかり消えていた。 家庭用アダルトビデオが流通し、業界は過激になるばかりである。「本番」を売り物にする女優が登場し、陰部を隠す前貼りもなくなりそうだ。前貼りをせずに、好きでもない男性と抱き合う。萩尾はそれができなかった。