五木ひろし「石原裕次郎さんの歌声に憧れて。あんなに軽く、語るように、自分の世界を表せる人はほかにいなかった」
◆石原軍団との交流 裕次郎さんが倒れて、慶應義塾大学病院に入院なさったときにお見舞いに伺ったのですが、会えなかった。実は、裕次郎さんを通じて、軍団の方とのお付き合いもできていたのですが、その時の対応をしてくださったのが渡哲也さんでした。「(面会できなくて)申し訳ない」ときちんと対応してくださいました。 軍団の方々とのお付き合いはその後も続き、渡さんとはゴルフに行ったり、飲みにも行きました。渡さんだって昭和の大スターですからね。ありがたいことです。 裕次郎さんの故郷でもある小樽にも2回行きましたよ。「石原裕次郎記念館」を訪ねました。小樽港マリーナの隣に記念館がオープンした聞いたときは、ヨットマンだった裕次郎さんらしいな、と思いました。 ここには裕次郎さんの愛車がずらっと並んでいて…。裕次郎さんは、車好きでも知られていましたよね。2017年に閉館してしまったのは寂しい限りです。
◆語り継がれる人 裕次郎さんは俳優も歌手も本業ではなく、遊びでやっていたような感じでした。 それだけに、プロとしてのストイックさはなかった。あくまでも自由で、好きなお酒も飲みたいだけ飲んでいたし…。 人を楽しくさせるのはとても好きだったんでしょうね。裕次郎さんといるととにかく楽しくなるんですよ。それも天性のものだったのかなあ。まさに太陽そのものでした。あの年代で、アロハやTシャツと短パンが似合う人はいませんよね。 俳優であり歌手であった石原裕次郎さんは、そのどちらもが超一流でした。日本では本当に珍しい。女性では美空ひばりさんがそうですね。 どちらも52歳というあまりにも早い旅立ちでしたが…。 僕は昭和の2大スターと言われたら、ひばりさんと裕次郎さんを挙げています。 外国のアーティストも、エルヴィス・プレスリー42歳、ホイットニー・ヒューストン48歳、マイケル・ジャクソン50歳と、若くして亡くなっています。ジェームズ・ディーンなんて20代ですからね。 語り継がれる人というのは、そういう運命なんですかね…。寂しいですね。 でも、僕はこうなったからには、森繁久彌さんを目指します。がんばります。(笑) (構成=吉田明美)
五木ひろし