五木ひろし「石原裕次郎さんの歌声に憧れて。あんなに軽く、語るように、自分の世界を表せる人はほかにいなかった」
デビューしたての五木ひろしは、すぐに大スターとなり、昭和の大スターたちと次々に共演を果たすこととなる。スクリーンを通してしか知らなかったスターと肩を並べて、芸能界を生きてきた五木ひろし。今回も、前回に続き、石原裕次郎との思い出を語る。歌手として2人だけが出演する特別番組をきっかけにして知り合い、続く交流の中で、五木ひろしが感じたこととは―――。(構成◎吉田明美) 【写真】豪華!五木さんと裕次郎さんの雑誌対談 * * * * * * * ◆石原裕次郎さんの歌 僕は石原裕次郎さんのあの歌声に、いつも大きな憧れを感じていました。あんなに語るように軽く歌えて、ムーディーに自分の世界を表せる人は、裕次郎さんを置いてほかにいないと思っています。だから、裕次郎さんの歌を歌うときは、うまく歌おうとか、一生懸命歌おうとしてはいけないんですよ。 裕次郎さんはピッチがよかったんです。音程ですね。あれは天性のものだと思います。彼は俳優のときのセリフもそう。声を張らずに伝わる、生まれながらのいい声を持っている。唯一無二の声ですね。 僕は、裕次郎さん亡きあと、NHKを含めて、いろいろな番組で裕次郎さんの歌を歌っています。裕次郎さんの奥さまのまき子さんが僕のファンでいてくれて、『思い出のメロディー』で石原裕次郎さんの特集があるときなどは、必ず僕を指名してくれるんです。 もちろん裕次郎さんの歌はすべて歌えます。裕次郎さん自身はたぶんカンペがないと歌えないけど、僕はちゃんと歌える。(笑)でも、うまく歌おうとはせずに、できるだけ裕次郎さんの雰囲気を壊さないようにと心がけます。「裕次郎さんの歌は五木さんしか歌えない」と言ってくれる方もいます。 昭和の名曲だけに、編曲しようとする人もいるのですが、それはやってほしくないですね。別の歌になっちゃうから。
◆昭和の名曲 僕のデビューに大きくかかわってくれた作詞家の山口洋子さんも、裕次郎さんに『ブランデーグラス』などの名曲を作っています。裕次郎さんは、山口さん経営の銀座のクラブ「姫」の常連でした。 僕はデビューしてから幸いにもすぐ忙しくなって、「姫」に通うということができなかったけれど、共通の空間にはいたという思いがあります。ご縁ですね。 裕次郎さんが亡くなってから発売されて大ヒットした『北の旅人』も、山口洋子さんの作品です。 そうそう、昔は、カラオケは分厚い本を見ながら歌ってたんですが「イ行」は確か「石原裕次郎」と「五木ひろし」しかなかったような(笑)。お互いに2ページずつぐらいページをとってましたけど。