書でもなく絵でもない。107歳まで生きた美術家・篠田桃紅さんを生き方の師に。100点を超えるコレクションを集めた〈篠田桃紅作品館〉を開館
以来、熱心なファンとして作品を見続けてきましたが、新潟県高等学校教育研究会の企画運営に携わっていた1985年、憧れの篠田桃紅先生を講師としてお招きしよう、と思い立ちました。 最初は依頼を断られました。その理由は、「壇上(人の上)に立ち、お話をすることは、私の生き方に反します」。「では先生を囲み、みんなで語り合う形でお願いします」と再度手紙を書きました。 どうしても諦められず、何度かお手紙をやり取りし、ようやく引き受けていただいたときは万感の思いでした。先生は72歳、私は42歳。ここから交流が始まりました。
◆人間に興味はございません 研究会では参加者から、「どんな人や作品に興味をおもちですか」と質問が出ました。 そのときの先生の、「私は人間に興味はございません。風のそよぎ、雨の音、空気の流れなどを感じ、四季それぞれに流れている目に見えないものを可視化する。それが私の芸術のかたちです」という言葉が鮮明に思い出されます。 秋になると先生は、會津八一さんの「からすみ を いや こく すりて かまづか の この ひとむら は ゑがく べき かな」という歌を思い出すそうです。 かまづか、とは葉鶏頭(はげいとう)のこと。會津さんは庭の真っ赤なビロードのような葉鶏頭を、道行く人が垣根越しに見て、美しさに感嘆しているのがことの外の喜びでした。
そして、その真っ赤な葉鶏頭を赤い絵の具を使わず、墨を濃く磨って描きたいと歌っているのです。心に働きかける抽象表現の世界を感じるこの歌に、先生は大変共感なさっていました。 また、先生は弟子をとる方ではありません。なぜかとお聞きすると、「自分の思いを生み出そうとする行為を、どのようにして指導するのですか。 心に育てたものを表現するのが芸術です。弟子は生み得るわけがありません」と。でも「生き方の師なら」と私に言ってくださいました。 (構成=小西恵美子、撮影=大河内禎)
篠田桃紅,松木志遊宇