たった一人で22名もの米兵を殺傷……「凄腕スナイパー」の壮絶な最期とは #戦争の記憶
逃げ込んだ壕は、敵の猛攻撃を受け…
米軍側もここで怯んではいられなかったようだ。この台地の日本軍陣地を落とさないと、摩文仁の司令部へ攻め込む時、背後を衝かれる恐れがある。 横一線に陣を敷く日本軍に向かって左側にいた米海兵隊員らが回り込み、この狙撃兵が逃げ込んだ洞窟が特定されてしまった。ピナクルに近い岩塊の下に、東西へ延びる長さ10メートル前後の陣地壕がある。その西側の出入り口に火炎放射され、さらに監視哨に続く天井の空気穴からは爆雷が投げ込まれた。 「敵襲!」 歩哨の叫び声が、大隊本部壕の中に響き渡るのと同時に、激しい爆発音と衝撃が壁面を揺らし、天井から岩の塊がバラバラと落ちてきた。土煙が収まった後に国島伍長が駆けつけると、西側の出入り口付近にいた兵士らが3名倒れている。 その中には、逃げ込んできた狙撃兵もいた。眼鏡が吹き飛んで、顔はすすで真っ黒になっている。 「しっかりしろ、松倉!」 国島伍長が抱き起こすも、すでに事切れていた。 その手にはまだ銃身が冷め切っていない、ボルトアクション式の99式小銃を握りしめて……。 *** ※『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』より一部抜粋・再編集。
デイリー新潮編集部
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