<軌跡・センバツ京都外大西>/上 屈辱がチーム変えた 誓ったリベンジ 選手を「大人」に /京都
屈辱のコールド負けだった。2023年夏の京都大会。京都外大西は7月20日の4回戦で、21、22年に計3回の甲子園出場を果たした京都国際と対戦した。上羽功晃監督が「京都で一番強い」と認める相手だ。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 先発した3年生投手が一回に失策絡みで先制されると、その後も打ち込まれて計3失点で二回途中に降板。その後は、上羽監督が「ジョーカー」として期待していた相馬悠人(2年)や、秋以降にエースとなる左腕・田中遥音(2年)らが継投したが、流れを変えられず相手打線の餌食となった。 打線は五回に1点を返すのが精いっぱいで、七回に4点を失って1―8のコールド負け。圧倒的な力の差を見せつけられた。1984~2010年に春夏15回の甲子園に出場し、05年夏は準優勝した「常連」の雄姿は、そこにはなかった。 だが、この敗戦からチームは生まれ変わった。「京都国際に絶対リベンジする」と明確な目標を掲げた新チームは、屈辱の試合を肌で知る田中と相馬を中心に、練習から目の色が変わった。2人を投打の軸に、満を持して秋季府大会に臨んだ。 初戦となった9月3日の2回戦は須知に11―0で五回コールドの完勝。田中は1安打完封だった。3回戦は久御山に3点を先行される苦しい展開となったが、打線が奮起して8―5で逆転勝ち。4回戦は西城陽に一時7点差をつけながら七回までに6点を返され、1点差に迫られたが何とか9―6で逃げ切った。「相手打者の情報共有などがうまくできていなかった」と丸山貴也コーチが振り返るように、チーム内の連携が不十分で田中の投球が安定せず、相馬との継投でなんとかしのぐ状況だった。 それでも、勝つことで事態は少しずつ好転していく。マネジャーの奥田星来(2年)と小島愛加(2年)は「以前は選手に『風邪がはやっているからマスクしよう』などと提案をすると『いつも暖かいところにいるくせに』などと言い返されて、口げんかになることもあった。でも秋季大会の頃から素直に受け止めてくれるようになり、大人になりました」と口をそろえる。 準々決勝で北嵯峨に8―2、準決勝は塔南・開建に8―1(七回コールド)と、危なげない試合運びで公立の強敵を退け、近畿地区大会出場を決めた。田中は完投するのが当たり前になっていった。 そして迎えた決勝の相手は、因縁の京都国際。夏の雪辱を果たし、「京都1位」を勝ち取るという強い思いを持つ田中が2日連続で先発マウンドに立った。 チームはしたたかに試合を進める。二回に2死一、三塁から足で揺さぶり、相手捕手の悪送球を誘って先制。さらに事前に情報を収集し、相手バッテリーの隙(すき)をうかがっていた三塁走者・持田諒真(2年)が上羽監督とアイコンタクトする。一直線に本塁へ向かって走り出し、鮮やかな本盗を決めた。一瞬の出来事にざわつく球場。足を絡めた粘り強い攻撃で2点目をもぎ取った。 六回にこの試合唯一喫した長打などで1点を失ったものの、田中を中心に守り切って26年ぶりの秋季府大会優勝を果たし、グラウンドには歓喜の輪ができた。苦難の末に勝ち取った「京都1位」。選手たちは指を1本、高々とつき上げた。快進撃は、ここから始まっていく。【水谷怜央那】 ◇ 府内から5年ぶりのセンバツ2校出場となった京都外大西と京都国際。それぞれの決定までの軌跡を追った。(敬称略) 〔京都版〕