元日本代表DF森岡隆三が“フラット3”を述懐! トルシエ監督の要求は?「周りの選手も最初はいやいや無理だろうって」
「キーパーがリリースして0.1秒ぐらいの時に1人は置き去りに」
元日本代表DFの森岡隆三氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。フィリップ・トルシエ監督の下で取り組んだ、“フラット3”について語った。 【動画】元日本代表DF森岡隆三が“フラット3”を語る! 1998年に日本代表監督に就任したトルシエ氏は、3人のCBを横並びにしてラインを高く設定し、相手攻撃陣をオフサイドにさせる戦術である“フラット3”を導入した。 99年にトルシエジャパンに初招集され、主に3バックの中央を担った森岡氏は「キャッチーなワードをつけた」と評したその戦術が、自身には合っていたと振り返る。 「ラインコントロールは好きです。自分が足遅いし、ヘディングもそんなに強くないし、身体も今も喘息なんですけど、貧血だし。そういうのもあったから、でかい相手とか速い相手にどう戦うみたいな、そんなことばかり考えてやってきていたのもあるんですよ」 “フラット3”の特性については、こう説明する。 「ラインコントロールしてスペースを圧縮したり、人数をプラス1にしたり。自分が楽になるだけじゃなくて、中盤も前も楽になるじゃんこれ、みたいなのもあったから、それが良い攻撃に繋がるんなら、それに越したことないよねという感覚でやっていたので。だんだん、やっているうちに、代表の選手たちの能力というか、『ここ取りに行けちゃうの』みたいな感じなのを後ろから見ていて、『これ、もう少し行ける』みたいな感じになってきました。凄かったですね」 ただ、「最初は戸惑いありました」と語るように、最初からから上手くいっていたわけではなかった。 「ボール状況が全てだと思っているんですけど、普通、横パスやバックパスが長い時にライン上げるんですけど。トルシエさんの要求って、キーパーがちょっとリリースして、0コンマ1秒ぐらいの時に(相手を)1人は置き去りにできるだろうみたいなのを、みんなで合わせるので。『これ、なかなか大変だな』みたいなのはあって。周りの選手も、最初は『いやいや、これ無理だろう』っていうところから入りがちだったので。無理だろうから入ると、1年目とかは上手くいかなかったですよね」 その後、「『じゃあ、もうやってみようよ』ってなったら、ちょっと上手くいくようになったという感じでしたね」と回想した。 戦術を成熟させたトルシエジャパンは、2000年にアジアカップで優勝、翌年のコンフェデレーションズカップでは準優勝、2002年の日韓ワールドカップで決勝トーナメント進出と、日本サッカー史に残る好成績を残した。 構成●サッカーダイジェストWeb編集部