「私の人生はスキンケアに救われた」もともと色黒がコンプレックス。母に憧れ努力を重ねた結果「色白だね」と褒められ、美容にのめり込んだ【50才美容家さきめぐ先生】
精神的に追い込まれた離婚を経て、改めて美容と向き合うことに
その後、新卒で会社員になり、数年後に結婚。当時は旦那さんを成功させるために公私ともに縁の下の力持ちとなり、家庭でも仕事の面でも支えていました。しかし、32歳で離婚。当時は精神的につらい日々を送っていたそうです。 「一緒に仕事をしていたこともあり、愛も今までの生活も、すべて一気に失ってしまったんですね。 10年以上ともに寄り添って歩んできた人から傷つけられる場面もあり、精神的に追い詰められてしまいました。 つらくて、つらくて、当時は生きる気力を失っていたように思います。 そんな私を救ってくれたのが『スキンケア』だったんです。 自分と向き合ってお肌をケアしているこの時間だけは、誰にも邪魔されない私だけの時間。 心も癒され、リラックスできる幸せな時間でした。 そのときに、肌の色で悩んでいた私がスキンケアで人生を救われたことを思い出したんです。そのときに『人を傷つけるのではなく、人の幸せにする仕事をしたい』と強く思いました。 『スキンケアで誰かの役に立ちたい』と思ったのが、化粧品開発者になる最初のきっかけでした」
本当に役立つものを作るために、きちんと勉強したい。学会にも通い、飲み会では研究者を質問攻めに
自他共に認める美容オタクではあったものの、皮膚科学はもちろん体系的に専門知識を得なくてはならないと思い、美容の専門学校に通うことに。 「スキンケアを頑張り続けたことで美白にはなれたけど、30代になりシワやたるみなどのエイジングサインを感じていました。『肌の中では何が起きているんだろう?』という好奇心もあり、きちんと知識を身につけたいと思うように。 専門学校で基礎知識を学んだだけでは物足りず、「日本抗加齢医学会」など学会へも足を運んだり、ツテをたどって大手メーカーの研究員さんに教えてもらうなど、積極的に動き学び続けました。 最初は学会で出てくる専門用語もチンプンカンプンでしたが、だんだん理解ができるようになり面白くなっていったんです。今でも、サイエンティストの友人と飲み会があると聞けば質問リストを持ち込み、議論を交わしています。いつものメンバーに『またやってるよ』って呆れられているほどです」 「離婚」というつらい経験を経て、化粧品開発の道へ進むことになったさきめぐ先生。その後、ある出会いがきっかけで、なんと累計1,000万個を売り上げたあの商品を生み出すことに。 続く後編記事では、『離婚ですべてを失うも、「たった一人で」累計1000万個コスメの開発を担当。50年間失敗を繰り返したその答えを登録者12万人のYouTubeで発信』お伝えします。
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