あの世に行って恥ずかしい思いをするなんてイヤ。我が身を正した「捨て友」からのメッセージ【エディター昼田祥子】
こんにちは、エディターの昼田です。 10年以上も捨て活・終活に励む友人K子さん(今年で還暦)から、先日送られてきた一枚の写真。「冷蔵庫のドアポケットをすべて取り除いたら、ドアがめちゃくちゃ軽くて開けるたびに心まで軽い♡」とありました。 【着こなし画像】シンプルなのにこなれてる! 昼田祥子のコーディネート一覧 す、す、すごい……! その発想はなかったです。友人の報告を聞いていると、何か手放したくなる衝動にかられます(笑)。私たちの出会いはここ最近ですが、いい意味で刺激をもらっています。 友人K子さんが断捨離をはじめたのは、同居していた義理の両親が亡くなり、その遺品整理がきっかけでした。そのあと夫も他界して今は一人暮らし。時間をかけながら少しずつ身の回りのものを手放しています。 「最近テーブルを捨てたのでキッチンカウンターで食事しようと思い、ハイチェアをネットで探してみたけれど、モノを増やしたくなくて葛藤。そうだ、家具のサブスクがあると思いつき、初めて申し込みをしました。楽しみ! 今はカーテンを外したくてたまらない……色々思案中です」という彼女からのメッセージ。 収納も中身が空になったので手放そうかな、とK子さん。 私も見ていて気持ちいいというか、もうあっぱれですよ。私はまだそこまでいけてない。いや、そこは比べるところじゃない。今は、いかなくてもいいと思っています。つい私も捨てるのが得意なので、周りに触発されて捨てなきゃモードになってしまうことがあります。 あるいはこの記事を読んで「捨てろ!」と責められているように感じる方もいらっしゃるかもしれません。 持っていることがダメなことで、手放すことがいいこと。捨てたらすごい人、という風潮すらあるご時世。けれどもそういった目に見えることはただの結果であり、私が思う手放すことの本質は”内側にある見えない部分”にあると思っています。「服捨て」でいうなら、人生の後半戦に向けた自分の棚卸し。自分にとって必要なものは何か、どうありたくてこの先どう生きたいのか。それらは決して目に見えないし、自分で本気で向き合わないと曖昧なままなんですよ。モノを通して自己理解を深めることは、すなわち自分を大切にすること。そして自分が大事にしたいこと、やりたいことへとしっかりと軸足を移していくことが、手放すことで目指すゴールだと思います。捨てる、がゴールではないんですよね。 世の中のミニマリストや人気のYouTuberを、モノの数ではなく「この人は何を大事にして、どう生きたいのか」という内側の見えない部分に視点を合わせてみると、みなさん、ものすごくクリアではっきりしていると思います。 さて話を戻すと K子さんも今、やりたいこと、学びたいことに時間とお金を注いでいます。 それは亡き夫から託されたやったこともない「株」。死に際に説明を受けたけれど、何もわからず泣くしかできなかったそう。そして「あなたにはできないと思う」という旦那さんの予想通り、引き継いだ株はことごとく失敗し大損。 自分に知識があったらと思うと悔しくて、失った分を取り返そうと投資の勉強を始めたそう。今となっては「こんな面白いことを知らずに死んだら後悔する!」というほど夢中に。なんでもいい、熱狂できるものがある人生っていいですよね。 「捨てながら、ずいぶんと無駄なことにお金を使ったなと気がついたんですよ。これからは経験にお金を使おうと思って。持っていけるのは経験だけ、というのは本当にそうだと思ったんです」とK子さん。 モノを手放すフェーズが終わると、収納を手放すフェーズに。そして収納を手放すとインテリアの見直しが始まり、また断捨離熱に火がつく。持ち物全体を見直したあと、今度は工具箱、カトラリーケースのように細部をチェックしていくサイクル。そうして洋食器、高額のマットレス、服にバッグや装飾品、食器棚やレンジなどの家電。保険証書やセミナーなどの書類、金庫までも処分したK子さん。もう家にほとんどモノがないのでは?! 自分のことをさらりと語るK子さんの言葉には説得力があって、私も納得することばかり。それは3人を看取り、何度も片づけと向きあう中で得られた「気づき」なのだと思います。私が印象に残っている言葉をいくつかシェアしますね。