両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.1
存在しない娘
今回の計画にあたっては、すべての行程をクロエと過ごしたかったが、彼女の親代わりの〈イギリス人〉や、その彼が所属する欧州の非営利法人〈イギリス人の組織〉の担当者、ヤンゴンを拠点にするビルマ族の政治改革組織の協力者まで皆が皆、越境の同行に反対した。 実際のところ、タイからミャンマーへ公道の検問を避けて出入りするのは難しい行為ではない。これまでにも何度かおこなっていたが、今回は取材というより、クロエに1冊の手帳を与えるのが目的だったので、皆がすこしでもリスクを減らしたいという気持ちはよく分かった。そんなわけで、取材班はクロエと別れて空路でヤンゴンに入り、車でダウェイへ向かうことにしたのだった。 この数年、世界がミャンマーを語る際には、およそ「ロヒンギャ」の一語がまとわりつく。しかし、「存在しない者」として扱われているのは、かならずしもロヒンギャだけではない。21歳のクロエは、つい約4カ月まで存在していなかった。彼女はミャンマーの国民として存在していなかっただけでなく、約10カ月までは、父と母の娘としても存在していなかった。 「彼女が生まれたとき、私は村にいました。娘のお腹からクロエが出てくるときには(慣習に従って)外に出ましたが、私の妻は、ずっと家の中で付き添って……私の娘とその夫は〈カード〉を持っているミャンマー人です。そのふたりの娘であるクロエも、もちろんミャンマー人です」 祖父のタンアウンは言うが、結果として、両親はクロエを「登録」しなかった。
赤土の村
ダウェイの郊外で合流した取材班は、すぐに出発した。約10カ月前にようやく「両親」となった産みの親が暮らす村へ行き、「家族構成一覧表」の原本を受け取らねばならないからである。 ダウェイからヤンゴンまで延びる幹線道路を中途で外れ、赤土の山道を進む。小さな山は延々と連なり、麓を縫うように車両用の山道が造られている。赤土と砂利の山道は細くなり、左右のジャングルが迫り出す。自動車の速度は、ほとんど歩くのと変わらなくなる。 ほどなく車は止まり、取材班は歩いて山を越えることになった。ようやく、仮眠の暇を得た運転手は満面の笑みで座席を倒し、すぐにイビキをかき始めた。外は雨だが、スコールは長くは続かない。麓を縫う道ではなく、山を直角に切り拓いた獣道を登る。こんなとき、ポンチョはとても便利だ。 以前、ネパールで取材した折には、「ちょっと、そこまで行こう」と歩き出し、2時間以上も平然と山歩きをする老人たちに閉口したものだったが、タンアウンの衰えた肉体、鈍い両脚の動きは気の毒になるほどだった。 もう10年以上にわたって、カンチャナブリ(タイ側の国境地域)で不法滞在しているため、彼はとうの昔に、山の民の足腰を失っていた。ふたつの低山を越える間にスコールは止み、しばらくして、また降り始めたとき、村に着いた。 切り拓かれた山頂の平坦部に、ぽつぽつと10軒ほどの家が並んでいる。細い木の棒と竹を組み合わせた伝統的な高床式住居だ。本来、その壁は竹を編んで作られるが、貧村では時間と手間を惜しみ、竹を縦に並べて壁面を作るだけで済ませることも多い。大きな葉を瓦のように重ねた屋根は、年に一度葺き替える。 「あれが、わたしの家です」 ずいぶん後ろを歩く祖父の姿を確認しながら、クロエが指差した。彼女の生家は崖のふちに建っていた。 (Vol.2に続く)
Project Logic+山本春樹