両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.1
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
彼女は「国民」になった
いつもは「孤児支援」や「難民支援」を謳う団体から提供されたスポーツ用のシャツと半パンだが、今日は違う。アップにまとめた髪を黒いカチューシャで留め、格子柄のしゃれたワンピースを着ている。 特別取材班Project Logic(以下、取材班)が、ミャンマーを訪れたのは国軍によるクーデター(2021年2月)が発生する前のことだ。約束通りにダウェイの郊外で落ち合ったクロエは、年相応の女性に見えた。年齢は勝手に重なるものだが、今日の彼女は疑いなく21歳に見える。徹夜の越境で、くたびれたのだろう。クロエと祖父のタンアウンは、よだれを垂らして長椅子で寝ていた。この露店が約束の場所だった。 「おれも、さすがにくたびれたよ。コーヒーを飲んでもいいか?」 眠気覚ましに生姜の漢方薬を噛み続け、セーボレイ(煙草)まで一緒にくわえた運転手が言う。 「何杯でも飲んでくれ。モヒンガ(ミャンマーの麺)で腹ごしらえもしよう」 返事をした取材班の面々も同じ気分だ。彼女たちも疲れているだろうが、いまこの瞬間、疲労の只中にいるのは、運転手に違いない。別々の場所から国境を越えてやってくるクロエとタンアウンの到着に間に合わせるため、彼はほとんど休みなく10時間以上も車を飛ばしてきたのだ。64歳をすこしは休ませてやりたいが、今はそれもできない。彼には、まだ6時間ほど運転が残っている。 クロエが、タイの施設を出たのは、昨日の朝だった。運び屋の先導に従って、乗り慣れた原付バイクで約12時間。とある山から越境して、ミャンマーのタニンダーリ管区に入り、同じようにタイから越境してきた祖父のタンアウンと落ち合った。 そこから、〈イギリス人の組織〉が手配した別の運び屋の車に乗り、待ち合わせの露店までやってきた。一昨日まで、取材班はクロエと一緒に、タイにある〈イギリス人の組織〉(仮名)の施設にいたのだった。