<解説>小野憲史のゲーム時評 「ゲーム批評」の思い出(番外編) 「PC-DIY」の思い出
超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、ゲーム開発・産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」元代表の小野憲史さんが、ゲーム業界を語る「小野憲史のゲーム時評」。今回は、小野さんも一時期参加した「PC-DIY」時代の思い出を語ってもらいます。 【写真】天野喜孝ら大御所も! “ゲーム批評ならでは”の苦労があった表紙イラストの数々
◇
雑誌「ゲーム批評」「パソコン批評」を刊行していたマイクロデザイン出版局(現:マイクロマガジン社)と、攻略本「ポケットモンスターを遊びつくす本」を刊行していたキルタイムコミュニケーションは、(現在は不明だが、自分が在籍していた頃は)兄妹のような出版社だった。特に「パソコン批評」「PC自作派」「PC-DIY」は顕著で、各編集部のメンバーがほぼ一緒だった。4~5人の社員とアルバイトが刊行サイクルの異なる三つの出版物を編集していたのだ。
中でも「PC-DIY」には戦略的な意味合いがあった。当時、PCパーツを購入して自分で組み立てるニーズが高まり(その方が価格性能比が高いPCが組めた)、秋葉原を中心にPCパーツショップが建ち並び、自作派のための雑誌創刊が続いた。そこで、当初から広告掲載を狙って雑誌を創刊することになった。それが「PC-DIY」で、1997年に季刊で刊行された。その後、隔月刊→月刊→隔月刊→月刊と猫の目のように刊行サイクルが変わり、2004年に休刊となった。
これまで「ゲーム批評」「パソコン批評」をはじめ、無広告の雑誌しか編集した経験がなかったため、広告がある雑誌の編集は、さまざまな意味で新鮮だった。ひとことで言えば楽しかったのだ。片方に広告を出したい企業がいて、片方に最新情報を知りたい読者がいて、両者を雑誌という媒体で結びつける……。そこには、みんなで神輿をかついで街を練り歩くような楽しさがあった。まだインターネットの黎明期で、雑誌のニーズは今と比べものにならないくらい高かった。
もっとも「PC-DIY」は創刊から休刊まで一貫してマイナー雑誌だった。ただし、だからこそゲリラ的に、さまざまな遊びができた。当時、パソコンショップがパーツのネット通販に乗り出していたが、詐欺まがいの店も多かった。そこでパソコンショップに一斉に見積もりのメールを出し、返事があった順に実名で掲載し、1位から3位までの店舗を取材した。これにより郊外や地方の名店が発掘でき、ショップ店長によるコラム連載にもつなげられた。