<解説>小野憲史のゲーム時評 「ゲーム批評」の思い出(番外編) 「PC-DIY」の思い出
また、秋葉原には中古パーツやジャンクパーツがあふれかえっていた。そこで極端に安いPCを組んで(OS別で1万円以内など)スペックを競うなど、メジャー誌にはできない企画が続いた。そこから転じてキワモノ筐体を自作する記事の人気が出た。あるライターが側面にXのマークがあるポリタンクをベースに「Xボックス」を作ると、別のライターが塩ビ管で骨格を作って等身大美少女PCを作ったりと、悪乗りともいえる記事が増えていった。
こうした編集方針を象徴していたのが、「ハイエンド系お笑い自作雑誌」というキャッチコピーだった。これは「ゲーム批評」や「パソコン批評」の、業界とがっぷり四つに組んで、問題点を指摘するといった、硬派な誌面作りとは対局にあった。一方で、だからこそ面白おかしく、のびのびと仕事ができたように思う。裏を返せば、そうしたニッチな編集方針でも、業界の片隅で生息できるくらい、出版業界がゆるかった、といえるかもしれない。
このように自分が雑誌編集者をしていた1990年代は、出版業界のピークを迎えていた。優秀な編集者とは広告タイアップ記事を取ってこれる編集者のことで、名物編集長がメディアを賑わせていた。ただし、世の中が不景気になると、企業の広告予算は真っ先に削られていく。そのとき、広告頼みの雑誌作りでは、踏ん張りがきかなくなる。大切なのは読者か、広告主か……。この選択は今でも多くの編集者を悩ませているのではないだろうか。
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おの・けんじ 1971年生まれ。山口県出身。「ゲーム批評」編集長を経て2000年からフリーランスで活躍。2011からNPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)の中核メンバー、2020年から東京国際工科専門職大学講師として人材育成に尽力している。