愛沢えみり「高校の卒業式のあとバッグひとつで」家出同然の上京から歌舞伎町No.1キャバ嬢の座を掴んだ知られざる努力「必要なことを逆算してノートに書いて」
歌舞伎町No.1キャバ嬢として知名度をあげ、その後は経営者として活躍の幅を広げている愛沢えみりさん。「家出に近かった」というキャバ嬢人生のスタートについて伺いました。(全4回中の4回) 【画像】「2日間の売り上げは2億5000万!」伝説と呼ばれる愛沢えみりさんのキャバ嬢の引退式の様子など(全11枚)
■「夜の9時まで一輪車の練習」負けず嫌いな幼少期 ── 小さい頃はどんなお子さんでしたか。 愛沢さん:恥ずかしがり屋で、人前に出るのも苦手でした。目立つのもあまり好きではなく、集団行動も得意ではなくて。クラスで仲が良いひとりの女の子とずっと一緒にいるようなタイプでした。
でも、負けず嫌いで、家ではそれが割と出ていたと思います。例えば、小学生の頃、一輪車が乗れない時に母に付き添ってもらって、夜の9時頃まで外で練習していたこともありました。「もう遅いから帰ろうよ」と言われても「できるまで帰らないから、先に帰ってて」と。そういう頑固さはあったと思います。 ── そんなに遅い時間まで! 愛沢さん:今思うと、母も大変だったと思います。昔から自分で決めたことに関しては、とことんするタイプですね。他には竹馬なども頑張って練習していました。でもどれもひとりでできることですね。
── 以前、子どもが将来なりたい職業に、キャバ嬢がランクインして話題になったことがありましたが、小さい頃の夢は何でしたか。 愛沢さん:職業でなりたいものはなく、結婚してお嫁さんになることが夢でした。夜の世界のことは高校生の頃に知ったのですが、雑誌『小悪魔ageha』に載っている、ブランド物を持って可愛い服を着た人たちがキラキラして華やかに見えて、憧れを抱いていました。ただ、うちは親が厳しかったので、ただ羨ましいなという目で見ていました。
── お父さんが厳しかったそうですね。 愛沢さん:家系的には東大の教授などもいて、割とこう学歴重視といいますか、私にも大学に行ってほしかったんだと思います。でも私は進学することが楽しいと思えなかったんです。当時は、よく親に「大学に行って、何かいいことはあるの?」と聞いていました。母親からの答えもあまりはっきりしたものではなかったので、「やっぱり意味ないじゃん」と言って叱られたのを覚えていますね。