愛沢えみり「高校の卒業式のあとバッグひとつで」家出同然の上京から歌舞伎町No.1キャバ嬢の座を掴んだ知られざる努力「必要なことを逆算してノートに書いて」
■卒業式のあと、家出同然で東京へ ── 高校を卒業してからは、どうされたんですか。 愛沢さん:卒業したその日、卒業式の後で東京に向かいました。何も準備せず、バッグひとつで。周りは進学する子が多かったのですが、私は何よりも東京に行きたかったので、高校卒業後の進路は決めていませんでした。 ── 卒業式の後にそのままとは、強い意志を感じますね。ご家族はさぞかし心配されたのでは。 愛沢さん:もう家出に近いですよね。妹にだけ本当にひとこと、「元気でね」というような短い手紙を書き置きして家を出ました。事前に家を出る準備をすると気づかれてしまうと思ったので、何も準備せず、突然でした。
父親は当時、仕事で海外にいたのですが、そこから母と妹には何年間か会っていません。家族が嫌だったというわけではなく、とにかく東京に行きたかったんです。東京に行ったら何かが変わるかもしれないと思っていました。 ── 東京で、まずどんなことから始めたんですか。 愛沢さん:都会に行きたいと思っていたので、最初に六本木に行きました。まず働かなきゃと思っていたので、道でたまたま会ったスカウトの方と話して店を決めた感じです。
── そこから夜の仕事を始めたんですね。順調でしたか。 愛沢さん:いえ、ぜんぜん売れませんでした。毎日ヘルプ(指名されたキャバ嬢が他の客との接客中に会話をしたり、飲み物を作ったりする役割の人)に入るだけの生活でした。当時、東京で出会った彼氏に生活面のサポートをしてもらっていたので、仕事を頑張って自立しようという考えはありませんでした。「結婚すればいいんだ」と思っていたので、時給泥棒だったと思います。ちょっと嫌なことがあったら早退したり、行くと行ったのにやっぱり行かないと言ったり。いきなり辞めて、また店に戻ったこともありました。
── いつ頃から仕事のスイッチが入ったのですか。 愛沢さん:付き合っていた彼氏と別れたときです。住む家をはじめ、すべてが無くなって初めて「人に頼ると怖い」ということに気づきました。その頃、東京に来て2年経っていたのですが、バッグひとつで家を出て来た時と同じ状況になってしまったなって。そこからもう六本木は嫌だと思って、場所を歌舞伎町に変えました。 ── なぜ歌舞伎町だったんですか。 愛沢さん:歌舞伎町のキャバ嬢という存在は以前から知っていましたし、もしかしたら自分が学生の頃に憧れを抱いていたキラキラしているイメージは歌舞伎町なのかもしれないと思って、20歳の頃に新宿に引っ越しました。