JR東海初代社長・須田寛さん死去 「産業観光」提唱、行動力あふれ
今月13日、93歳で死去したJR東海・初代社長の須田寛さんは、モノづくりニッポンの特性を生かした「産業観光」を提唱し、推進役を果たした。行動力あふれるアイデアマンであり、気配りの人でもあった。 【写真まとめ】2024年に亡くなられた方々 1994~96年度の3年間、須田さんの秘書を務めた西村哲治さん(72)によると、須田さんは常々、「新しい観光資源を作り出さなければならない。景色を見てキレイで終わってはいけない」と話していた。 そんな須田さんが提唱したのが「産業観光」で、歴史的・文化的に価値のある工場や機械といった産業文化財を観光資源として活用するものだ。須田さんの思いは自治体にも浸透し、愛知県では公式観光ガイドのサイトで「あいちのモノづくりを体感しよう!」と、リニア・鉄道館、あいち航空ミュージアムなどの産業観光施設をPRしている。 西村さんは須田さんの人柄にもひかれた。思い出に残っているのは、95年に阪神大震災があった時のこと。須田さんは震災1週間後、「現地で皆さん頑張っているから激励に行こう」と言い、西村さんと2人で名古屋からタクシーに乗って物資を運んだ。「人のために汗をかく。社長という立場でも自分の手、足を動かす人。すごいなと思った」 現在、日本観光振興協会中部事務局長を務める西村さん。「本人は産業観光がライフワークだと話し、広辞苑に産業観光が載るまでがんばると言っていた。今も指導していただいていただけに残念です」と話した。【大原翔】