マニュアル妄信すべからず【獣医師記者コラム・競馬は科学だ】
◇獣医師記者・若原隆宏の「競馬は科学だ」 論文や学会発表などで科学者の営みに接すると、しばしば科学の枠にとどまらない普遍的な教訓に触れることがある。今年の「JRA競走馬に関する調査研究発表会(研発)」でも、そんな教訓に改めて痛感させられる研究に触れることができた。 ウマヘルペスウイルス1型(EHV―1)による「馬鼻肺炎」は、サラブレッドにとって憂慮すべき感染症の一つだ。馬産地では集団流産、現役期の競走馬にとっては熱発や、深刻なケースでは神経症状による戦線離脱が生じる。ウイルスによる感染症だから、患畜からのウイルスの分離と同定が重要で、ウイルスのDNAを迅速かつ高感度に検出するために、リアルタイムPCR(qPCR)が用いられる。 DNAの特定の配列をターゲットとして検出する方法だが、ウイルスのDNA全体をターゲットにするわけではない。「この配列を持つのは目的のウイルス」と言える、特異的な(かつ適度に短い)配列をターゲットにすれば、検査の迅速さや感度を理想的に高めることができる。 ところが、ウイルスには次々にさまざまな亜型が生じる。「従来ターゲットとしていた配列が、目的のウイルス以外にも存在する」という事情が生じることがある。馬鼻肺炎に関しては、従来EHV―1の”指標”としていたDNA配列が、EHV―8という別のウイルスにも存在するという事情が生じたため、ターゲットにする別の配列を定め直す必要が生じた。 国際獣疫事務局(WOAH)が5月改訂したマニュアルでは異なる配列をターゲットとした3つ方法が掲載された。JRAではこれらの検出感度や精度を実際に検証。2006年にハッセイらが提唱した方法が最も有用との結果を得た。 ところが、WOAHとは別の国際機関が三つ方法のうち、今のところ「最も推奨される」と示しているのは、ハッセイらの方法とは別の検出法。この検出法が「最も適当だ」とされている根拠は不明だが、文献だけを頼りに新たな検査法を選ぼうとしていたら、非効率な方法を選定させられていたことになる。 文献的な一応の根拠があっても、ひとまず疑いの目を忘れず自ら手を動かせ。マニュアルを妄信せず、常識も一度は疑え。科学者のとるべき基本的な姿勢は、馬券検討にも通じるように思う。
中日スポーツ