命削って働くか、それとも…元商社マンが選んだ新たな道 富士山麓の小山町を「農」で活性化
あと20年、高収入と引き換えに命を削って働くか、新たな道を歩むか―。都内で大手素材メーカー商社部門の管理職として働き詰めだった亀山剛太郎さん(50)は2019年、人生の岐路に立っていた。体調の優れない日が続き、ある朝、体を起こせなくなった。「肝硬変予備軍です。暴飲暴食と喫煙、不規則な生活を続ければ死にますよ」と医師に宣告された。当時45歳。1人息子は5歳。「死ぬわけにはいかない」。新たな道を選ぶと決めた。2024年4月、静岡県小山町に移住し、「農」の力で町を活性化しようと奮闘している。 【写真を見る】命削って働くか、それとも…元商社マンが選んだ新たな道 富士山麓の小山町を「農」で活性化 医師の宣告を受けて、ストレスのはけ口だった暴飲暴食とたばこを止めた。「体にいい食べ物」を意識的に選び始めた。関心を向けたのが農業だった。2020年から大学校に通い、栽培技術と農業経営を学んだ。2021年、自ら耕せる畑を探していたときに、小山町と出会った。 神奈川県との境に位置する小山町は、都心から特急列車や車で90分という好立地にある。 町内の足柄ふれあい公園が、園内の畑を貸し出していた。富士山東麓から相模湾へ注ぐ鮎沢川に面した自然豊かな場所。知人の紹介で初めて訪れたとき、故郷の岡山市の風景と重なった。懐かしさと、奮い立つ思いが交錯した。月に何度か都心の自宅から公園に通い、野菜を育てる日々が始まった。 ■玄米を加工販売 覆した米農家の概念 農を軸にした収入源を探る中で、「体にいい」のに普及していない玄米に着目。子どもも大人も手軽に食べられる方法を考えた。会社経営者の妻と協力し、冷凍のおむすび「玄米deむすび」の開発と販売を企画。米農家や加工場にアプローチを繰り返し、玄米の仕入れから加工、販売の道筋を築いた。 商社マンとして、国内アパレルメーカーの製品の生産ルートや販路を開拓するために世界中を飛び回った経験が生きた。2022年に会社を辞めた。 田んぼに富士山の湧水を引く小山町では、米の収穫後に「水かけ菜」と呼ばれる特産の葉もの野菜を植え、初春に収穫する二毛作が盛んだ。水かけ菜の根や葉などの残さを田んぼにすき込んで育てた米は、玄米の状態でも柔らかく甘みがある。