岡崎友紀「特選」に選ばれた絵を先生が無かったことにしたために自信を失い…「自分への評価を正しく得られない時、心は傷つく」
1970年、最高視聴率34パーセントを記録したテレビドラマ『おくさまは18歳』が放送されてから50年以上の時が流れ…。飛鳥役を演じ、昭和芸能界の国民的アイドルとして一世を風靡した岡崎友紀さんは、70歳を迎えました。岡崎さんは、歳を重ねることについて「私ったらほとんどの時間、自分が『老人』ということは忘れているんですよね」と語っていて――。今回は、岡崎さんの45年ぶりの書き下ろし著作『なんたって70歳! ― だから笑顔で生きる』より一部引用、再編集してお届けします。 【イラスト】キャンバスに絵を描く岡崎さん * * * * * * * ◆一点ものの価値ある存在 陽気で、アクティヴで、一日中でも喋っていそうなお気楽キャラに思われる私。 確かに、誰かが目の前にいると、シーンと静寂が続くのがいたたまれず、空気の隙間を埋めたくなってしまうんですよ。 だから、私より喋る人がいる時は、ずーっと黙って、ずーっと聞き役になります。 そう、何時間でも。実は私、黙っているのも得意なんです。誰も周りにいなければ、当然喋らなくてすみます。 絵を描いている時間は、まさしくそういう時間で、自由な孤独を楽しんでいます。 写実的なものから絵本の世界の絵まで、キャンバスに楽しく描いています。ここ数年はiPadも使ったりして、新しい世界を楽しんでいます。 絵を描くことに親しんできたのは、母親の影響が大きかったと思います。 母はアクセサリーデザイナーだったので、我が家にはそのデッサンなどがあり、そういった環境が絵を描くきっかけになったのかもしれません。
◆同級生の絵 ただ、自分の絵が上手いと思ったことは一度もありません。 小学校の同級生の中に、絵がとても上手な少年がいて、どうやったらあんなふうに上手く描けるんだろうと、いつも感心して一目も二目も置いていました。 ところが、その少年の絵を差し置いて、小学2年生の時、私の絵が千代田区の「特選」になりました。 学校からバスで横浜の港まで行っての写生会で、小さな「曳船」を描いた私の絵が選ばれたんです。 しかし、その時の担任の教師が、そのことを生徒に発表しませんでした。 もっと大きくて立派な客船を描いた上手な絵があるのに、その子じゃない絵が選ばれて許せなかったのでしょうか。 コソコソと母親を呼んで、他の生徒に見つからないように賞状を渡して、「特選」を無いものにされてしまったんです。 せっかく区からの「特選」をいただいてうれしいはずが、その日から自分の絵への自信はゼロより下回って、マイナスになってしまいました。
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