「そこに黄金期のアメリカが宿っている」ヴィンテージ・ジッパーの宇宙
【TALON】と【YKK】の世界史
ーアメリカ製のファスナーは、なぜこのようなこだわりのパーツとなっていったのでしょうか。 そこには、アメリカで生まれた「ジッパー」または「ファスナー」の独特の歴史が関わっています。 ジッパーは1930年代頃から衣料品の付属品として必需品になり、1940年代頃は軍用品を中心に使われました。その頃は鉛など主に合金のスライダー(引き手)、綿が主体のテープという素材構成。現在のジッパーの品質と比べると、経年劣化が出やすく、合金は割れやすく、テープの強度も高くはありません。実用においては弱いという点がありました。 その後1950~60年代にブラスが主体になり、アルミ素材も使われ始めたことで品質が向上していきます。当時のブラスは非常に良質でしたから。この頃のジッパーの中心は「Made in USA」。アメリカ製品が華々しく世界に広がり、活躍した時代です。多くの日本人とアメリカンジッパーのファーストコンタクトもこの頃。1960年代のジーンズブームのジーンズのフロントジップはTALON製でした。ただ当時はあまりパーツとしての良さは認知されていませんでした。 ー魅力が発見されるのはいつ頃でしょうか。 その後の1970年以降のHeavy Dutyブームです。工業製品、車、衣料品。すべてのプロダクトにおいてアメリカは圧倒的な存在感を放っていました。この時期に流行した衣類やバッグに装備されていたのもアメリカブランドのジッパーでしたね。そうしたアイテムに欠かせない二次的な要素として、日本人はジッパーの魅力にも気づいていきます。 ところがその後、アメリカのファスナーは衰退していきます。日本のYKKをはじめとした競合がしのぎを削り、器用な日本の技術が高品質のファスナーを開発し急成長しました。1980年代にはリーバイスのフロントジップがTALONから品質のより高いYKK製に切り替わります。 1990年代を迎えるとアメリカ市場の消費社会も変化し、クオリティーを抑えた低価格な製品が増え、Heavy Dutyなアメリカは終焉していきます。その過程でジッパーの命であるブラスの素材にも変化がありました。ニッケルが多く含まれたブラス製造は環境への影響に問題が指摘され、ブラスメッキが採用されるように。そこで独特のソリッド感が失われてしまうのです。 仕方のないことですが、品質も低下し、素材感の味気も薄れてゆく。TALONの製造拠点も南米に移動し、日本のYKK USAがアメリカ市場でも完全に台頭して、YKKがUSA規格の部品をアメリカ本国で作っているという逆転した状況となります。こうしてアメリカのジッパーブランドは生まれた地を追われていきます。その過程で主流でなくなったアメリカンジッパーは“こだわり”の象徴として残っていくのです。