納税者がツケを支払う…「クソどうでもいい仕事」の温床、会社が「人々を食い物にする」実態
「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは? 【写真】日本人が知らない、「1日4時間労働」がいまだ実現しない理由
現代の資本主義は「レント資本主義」?
さて、利潤が「レント」という形式をとるとは、モノを売ってそれで利益をえる、というよりも、このような不動産とか株式から利益をうるほうに比重がおかれるということを意味しています。 「レント」は、かつては主に「地代」を意味していました。地代とは、土地所有者に対して支払われる土地の使用料、すなわちレンタル料を指します。財産所有者に流れ込んでくるそれ以外の支払いとは区別されていたのです。 かたや、働いてなにかを生産して、その生産物を売ってお金をえるという形態があります。かたや、なにかを所有していてそれへのアクセスの権利を与える(たとえばレンタルする)ことによってお金をえるという形態があります(マンションを所有していてその部屋を貸すことでお金をえるのです)。 封建制は基本的に農業社会であり、土地を基礎にしています。そしてその土地は、これも基本的には君主や王が名目的には所有していることになっています。そしてそれを臣下に貸し与えているというかたちをとっています。臣下もまたヒエラルキーをつくっていて、ある臣下がその土地をさらに細分化してみずからの臣下に貸し与える。かれらはその土地に緊縛された(農民の移動は原則として禁じられていました)農民たちに、その土地をやはり貸与して、そこから賦役という形態であれ、現物形態であれ、あるいは金銭という形態であれ、対価として富を徴収していました(それぞれ、労働地代、生産物地代、貨幣地代といいます)。 基本的には、土地それ自体はだれによっても生産されませんよね。土地で育つ農産物、あるいは土地の上に建つ工場ならば、人間によって生産することができます。でも、もともと自然のめぐみとして存在する土地にはそれ自体の価値が存在します。それゆえ、この土地の所有権を主張できる者はだれも、土地を活用することではなく、この土地という所有物へのアクセスを支配している事態だけに、つまりそれを所有しているというだけで支払いを要求しうるのです。 近代初期に経済学(政治経済学)が発展しはじめたとき、レントとはおおよそこの土地所有から発生する支払い、すなわち「地代(ground rent)」のことでした。 ところが資本主義が展開するとともに、たんにお金をもっていることから発生する支払いとか、大きな機械設備を所有していてそれを貸し出すことから発生する支払いなど、レントの概念は、必然的に拡張され、より抽象的になります。 そして現在では、いわゆる情報化とかIT化がすすむなかで、従来はモノの売買であったものが、知的所有権への使用料や手数料による取引になりつつあります。 たとえば、パソコンのソフトにわたしたちが支払うのはいわばレンタル料ですし、電子ブックもそうです。そればかりか、もっとも知的所有権のようなものとは縁遠いとみなされていた農作物すら、遺伝子組み換え技術によってレントの領域に入りつつあります。このような意味で、現代の資本主義を「レント資本主義」といったりするのです。 ところが、こうした封建制に淵源をおくレントは、当初、新興の資本主義とは対立するもの、あるいはなじまないものであり、しだいにすたれていくものとみなされていました。 資本家とは、おおざっぱにいって、戦争するか遊んでいる──狩りとか馬上槍試合などで──か、といった封建領主とは対極的に、時間を惜しんで働き、稼いでも禁欲して、さらに事業を拡大すべくチャレンジする人のことでしたから。 だから、この時代、「レンティアー」(レントで生活する人)、たとえば「金利生活者」とは、なんとなく貧相な年金暮らしの人間か、寄生的な投機家などといった悪いイメージになります。そして、20世紀、ついにわれらがケインズが「金利生活者の安楽死」を唱えることになるわけです。