ホンモノ!? 間違える人が続出する福岡県嘉麻市の「一夜城」
筑豊にこんな立派な城があったのか――。1枚の写真に目を奪われた。福岡県嘉麻市にある益富山(187メートル)の頂上付近に立つ天守閣。写真の説明を見ると、「一夜城」とある。あまりのリアリティーに、本物と間違えるところだった。 【写真】伝説を"手作り"で再現
秀吉の伝説でまちおこし
調べてみると、豊臣秀吉にまつわる伝説を基に、益富城跡に造られた一夜城だと分かった。嘉麻市で毎年10月下旬から11月上旬にかけて行われる「一夜城まつり」。その目玉として姿を現すのが、ベニヤ板などで再現した”天守閣”だ。
市の教育委員会によると、江戸時代に黒田藩が残した資料の中に一夜城の伝説が出てくるという。言い伝えは戦国時代にさかのぼる。1587年、秀吉は九州平定の際、益富城に攻め寄せた。守将の秋月種実は、城を秀吉に奪われないように打ち壊し、10キロほど離れた朝倉市の古処山城に逃げ込んだ。
一方の秀吉は町民らに命じ、障子や戸板を使って、張りぼての城壁を一夜のうちに完成させる。翌朝、はるか遠方から“修復された城”の姿を目にした種実は、秀吉の力におののき、戦意を失って降伏したという。
「古里に残る一夜城の伝説をのちの世代に伝えていきたい。まちおこしにもつながるはず」と、地元住民らでつくる「嘉麻市一夜城桐乃会」が中心となり、1993年から、毎年この時期に”築城”するようになった。
中学時代の仲間らが活動
「それほど複雑ではなさそうだし、自分たちで描けるのでは」と、参考にしたのは四国にある高知城。桐乃会の会長・武田満さん(77)ら、地元中学校を卒業した仲間たちがベニヤ板に描いた天守閣は、30年以上がたった今も現役だ。傷んだところに”お色直し”を重ね、「年々、より本物に近づいている」という。
まつりが始まる10月27日の朝、嘉穂アルプスと呼ばれる山々が見渡せる益富城跡に有志が集まった。鉄パイプの骨組みに、城壁を描いた78枚のベニヤ板、遠くからは石垣に見える24枚のござを取り付け、高さ16メートル、幅22メートルほどの本丸が15時ごろに完成した。 「台風21号の影響が心配ですね」と作業の責任者。「麓から吹き上げてくる風は強烈」とのことで、予想進路によってはパネルをすべて撤去し、台風が過ぎ去った後、再び取り付けるという。