デザインコンペ受賞率9割超!?…たった1分でアイデア生み出す“アイデアクリエイター”が「毎日実践していること」
東日本大震災の復興支援・風化防止などを目的としたキャンペーン「SEARCH FOR 3.11 検索は、チカラになる。」のビジュアルデザインなど、多くの方が一度は目にしたことのあるようなデザインを手掛けるのが、LINEヤフー株式会社・マーケティング統括本部の石川和也(いしかわ・かずや)さん。LINEヤフーでの活躍に加え、副業ではイベント会社のCOOや多数のデザインコンペでの受賞歴を誇る(受賞率9割以上)ほか、アイデアクリエイターとしての個人活動(個人SNSのフォロワーは約30万人)も行うなど、多彩な活動をされています。石川さんのご経歴に加え、数々のアイデアを武器に仕事をするうえで必要なこと、そして会社員、経営者、個人として様々な立場を行き来しながら仕事をするとはどのようなものなのか、お話を伺いました。 【写真】「仕事選べよ」と罵声浴びたDJ KOO、52歳でバラエティ番組デビューした理由 <デザインコンペ受賞実績(一例)> ■ 第24回 サンスター文具アイデアコンテスト 審査員特別賞 ■ 第24回 サンスター文具アイデアコンテスト グランプリ ■ コクヨデザイナワード 2020 ファイナリスト ■ 12th SHACHIHATA New Product Design Competition 準グランプリ ■ 13th SHACHIHATA New Product Design Competition 準グランプリ ■ 14th SHACHIHATA New Product Design Competition 原研哉賞 ■ Plastic Design & Story Award 2018 入選 アイデア事例として「四角いガムテープ」や「真ん中に溝がある定規」、「繁華街になる付箋」など、SNSや各種メディアで話題となったありそうでなかった文房具などを生み出しています。
学生時代に学んだこととは全く違う世界へ。LINEヤフーへの入社理由
―多彩な活動をされている石川さんですが、まずはなぜLINEヤフー(当時のヤフー株式会社)に入社されたのかから教えてください (石川)大学時代はプロダクトデザインを学んでいましたので、ITやWebに関する知識があったわけではありませんでした。ただ、いろいろな企業の面接を受けていく中で、当社の採用面接が最も印象的だったんです。テンプレートに縛られない面接形式で、最終的には夢を語り合うような内容で、純粋にこの人たちと一緒に働いてみたいと思いました。 当時から「何を仕事にするか」よりも「どんな環境で働くか」を重視しており、「人」は入社先を決めるうえでとても重要なポイントでした。入社してみて、この会社には魅力的な人がたくさんいますし、今でも入社して良かったなと感じています。 環境という意味では、福利厚生が整っていることも後押しになりました。好きな場所で働くことができるリモートワーク制度なども、「こんな働き方できるのか」とワクワクしたことを覚えています。 ―プロダクトデザインを学ばれたのにIT企業を志望されたんですか (石川)プロダクトデザインを学んだからと言ってメーカーなどの専攻が活かせるような会社に行くことが納得できなかったんです。大学の時に学んでいたこととは違う世界にあえて飛び込んでみるのも選択肢としてあり得ると思っていました。実際に僕自身、いろんなことに興味を持っていて、大学入学時はインテリアデザインをやってみたかったですし、その後はいろんな影響を受けてプロダクトデザインを学びましたし、さらにその中でも車という特殊な領域にも手を出すなど、興味を持ったらかじってみるということをしていました。 そして、大学でまなんだことは一区切りつけて、就職活動のタイミングで全くやったことのない領域に進もうと決めました。それに、プロダクトデザインの世界は比較的年齢層の高い方が活躍する傾向にある中で、IT業界は若い方も活躍されているので、同世代と一緒に仕事したいという気持ちもありました。 そんな人だったんで、入社後も人事は僕をどこに配属させるか迷ったんでしょうね(笑)。配属先を知らせるときに、一人ひとり呼ばれて通知を受けるのですが、僕だけ最後の方まで呼ばれず、いよいよ呼ばれたと思ったらコーポレート領域のデザイナーとしての配属でした。同期みんながビジネス領域に配属になっていましたので、逆にこれはおいしいポジションではないかとも思いましたね。同時に、大きな企業でいろいろなポジションがあるからこそ、様々な個性を受け入れて配属してくれたとも思ったので、感謝の気持ちも持ちました。 ―面接時に語り合った夢とはどんなものだったのでしょう (石川)僕自身、未来のことを語るのがとても好きな性格で、「何か世の中に爪痕を残したい」という野望のようなことを伝えていました。そして、そのためには入社して様々なことを経験してスキルを磨き、会社にも還元しつつ将来は自分のやりたいことをやりきる、といったようなことを言いました。 「クリエイティブで世の中を変えたい」という想いはもっていましたし、影響力のある人間にもなりたかったので、自分の発信でみんなが納得してくれるような権威を身に着けたいと言いました。 ―幅広く興味関心を持ち、このような考え方の気質になったのは何かきっかけがあったからなのでしょうか (石川)小学生時代、親の仕事の都合もあって何度も転校することがありました。その度に、当時は同調性を意識して、どうやったら周囲と馴染むことができるのかを考えていました。それでもいじめの標的になったり、「あいつ目立っているから気に入らない」といったようなことも言われてしまい、人間関係の構築に悩んでいたんです。そのうちに、周囲に合わせることが面倒になってしまいました。 そして中学時代には個性は押し殺しつつ、でも周囲とも馴染まないといった選択をとっていたのですが、それも我慢の限界を迎え、高校進学を機に自分らしさを解き放つことにしたんです。すると、自分の感性を受け入れてくれる同級生や先生がいて、「人と違っても良いんだ」ということに気づくと同時に、「人と違うことが自分の価値なんだ」と気づくこともできました。 そこから、みんなが普通科の高校に進むというなら、自分は美術系の高校に進もうと考えたりと、周囲と違う方向に進むことを考えるようになっていき、そして、人から何と言われようと自分の決めた道を行こうと考えるようになったのだと思います。 ―いろいろな進路がある中で、アートやデザインの世界に進まれたのですね (石川)もともと絵を描くことが好きだったこともありますし、授業中ずっと折り紙を折っていたり、図工は満点の評価をもらい続けていました。だからこそ、大学進学するときには自分の好きな表現することを学びたいと思ったのです。そうと決めてからは美術の先生に弟子入りし、毎日のように放課後はデッサンに明け暮れていました。