京都人のアポなし訪問と細かすぎる「しきたり」は、じつは京風の思いやり?
アポなし訪問は、京都風の気遣い?
また、こうした食べ物以外にもしきたりはたくさんあります。例えば何かお祝い事があって、先方に進物品を持って訪問するときも日にちが決まっていて、大安を中心に先勝、友引の午前中にすることになっています。今の時代はこうしたお祝い品なども宅急便で送ることも増えていると思いますが、できることなら実際に届けてお祝いの言葉の一つも言ってあげたいものです。このように訪問すべき日が決まっている理由は、それらの日が暦の上で良いとされている日であることはもちろんですが、こうした日の午前中にしておくことで受け取る側もあらかじめ心づもりしておくことができるからです。 現代風にアポをとってお伺いするといった場合、「お祝いを持っていきたい」といえば、「いや、そんな気をつかっていただかなくて結構です」と断られるかもしれません。ところが日程が暗黙の裡に了解されていることで連絡をしなくてもスムーズにお祝いを届けることができます。受け取る側にしてもあらかじめ大安の日の午前中に来るかもしれないということがわかっていれば、お祝い事のある家ではそれらの日の午前中だけは家に居るようにしようということが可能になります。つまりこれもよく考えてみれば忙しい相手に対する思いやりの心がこもった合理的なしきたりと言えるのです。 京都のしきたりのごく一端を紹介させてもらいましたが、ほかにも様々なしきたりはあります。それらは一見窮屈なようですが、逆に言えば、しきたりやルールがあった方が楽な場合だってあります。身近で簡単な例でいえば、我々もエスカレータに乗れば必ずどちらか一方に立ち(東西で違いますが)、急いでいる人のために片側を開けたりします。そういう暗黙の了解がないと、急ぐ人にとっては困るという場合だってあるでしょう(もっとも駅のアナウンスではエレベータを駆け上がらないでくださいとは言ってますが)。 同じ社会に住む住民同士が暗黙の了解を持つことで成り立つ合理的な思いやりの気持ちというのは都市だからこそ必要なのかもしれません。そういう意味では昔からの都であった京の町にはそういうしきたりが随所にあるというのもうなずけるような気がします。 (経済コラムニスト・大江英樹)