「4年目に他の選手と同じ練習ができれば……」→3年目で駅伝デビュー 名城大学・上野寧々、監督の想定を超えた成長曲線
11月16日に相模原ギオンスタジアム(神奈川)であった10000m記録挑戦競技会で、名城大学の上野寧々(3年、名古屋大谷)が自身初となる10000mのレースに臨み5位に入った。連覇が7で止まった10月の全日本大学女子駅伝で、上野は2区を任された。年末の富士山女子駅伝に向け「みんなにも刺激になれば」という思いで今回のレースに臨んだ。 【写真】5000mまでレースを引っ張ったが、最後は5着でゴールした上野寧々
長い距離にも対応できるよう、10000mを経験
レースには15選手が出場した。上野はスタート直後から先頭を走り、最初の1000mを3分20秒で通過。その後は、日本体育大学の齋藤一乃(1年、長生)と交互に集団を引っ張った。5000mを17分05秒で通過したところで、9月の日本インカレ女子5000m6位入賞の金沢学院大学・日影柚月(4年、富山商業)や、ともに全日本大学女子駅伝でアンカーを託された中央大学の並木美乃(3年、常磐)と東洋大学の住野友理(2年、斐太)がペースを上げて抜け出す。上野は第2集団の先頭を走る形となり、34分23秒86の5着でゴールした。 「(400mトラック1周)80秒ペースで行けるところまで押すというイメージでした。今後は長い距離にも対応できるように、10000mを経験しておきたいという思いで今回はエントリーしました。ただ、5000m以上の距離が初めてで、途中で苦しくなって、そこから粘れませんでした」
高校時代は目立った実績がなく「やりきる覚悟で入学」
名城大がある愛知県出身の上野は、駅伝で無類の強さを誇る臙脂(えんじ)のユニホームに憧れて、自己推薦入試を経て女子駅伝部の門をたたいた。「走っている先輩たちがすごくかっこよかったんです」。ただ、米田勝朗監督からは「練習はきついぞ」と言われ続けた。 米田監督は全日本大学女子駅伝前日の記者会見で、2区を託すことになった上野について言及している。「うちのチームの中で唯一、スポーツ推薦入試じゃありません。基本的には高校に誘いに行って入ってくれる選手がほとんどなのですが、この子は自分から『入れてください』と。何度も何度も遠回しにお断りしたのですが、それでも『入れてください』ということで入部しました」 当時、上野に告げたことは「4年目にようやく他の選手と同じ練習ができるようになればいいよ」。高校時代の上野は愛知県大会に出場したことはあるものの、その他に目立った実績はなく、3000mも10分10秒台。「3000mで10分かかる選手は、今は入ってこない。すぐにみんなと一緒のレベルでというのは、到底無理なので、粘り強さを持ってほしいと伝えていました」。上野は当然、その事実を分かっていた。「4年間やりきる覚悟で入学しました」