“ゼロ円移籍”でファンから反感…J助っ人も異議「なぜ2部に行くのか」 移籍金を残せなかった真相告白【インタビュー】
J助っ人から疑問の声もブレない心
表面的には浦和からドイツ2部へ移籍することになり、意外なところからも疑問の声が上がることになった。当時、サンフレッチェ広島に所属していたミカエル・ミキッチが、細貝を含む数人の日本人選手の欧州移籍に異を唱えたことが記事になった。それは、細貝の目にも留まったのだという。 「確か彼はカイザースラウテルンにいたこともあると思うけど、『浦和レッズという大きな日本のクラブにいて、なぜドイツ2部のアウクスブルクに行くのか理解できない』というような記事があった。その時には実際、周りからも『言われているぞ』というメッセージもあったけど、僕自身はそれでブレることはなかった。 マーケットや歴史を踏まえると、ドイツの方が歴史は間違いなく長い。アウクスブルクは1907年にできたクラブだし、リーグのレベルも高い。当時のクラブの規模はアウクスブルクより浦和の方が大きいかもしれないけど、その先のステップアップも考えれば、アジアのマーケットにいるよりヨーロッパ、世界のマーケットに乗っていくことは意識していた」 結果的に細貝はアウクスブルクのクラブ史上初の1部昇格に加入1年目で貢献し、レンタル元のレーバークーゼンやヘルタ・ベルリンでもプレー。トルコへの移籍も経験した。負傷とも戦いながらだったが、6シーズンをヨーロッパで過ごした。 「今思えば、すごく濃い20代だったと思う。自分らしいとシンプルに思っている部分もあるけど、監督との出会いに恵まれたのが大きな要因だと思う。僕自身はヨーロッパで素晴らしい監督に出会えて、ドイツでコンスタントに試合に出られた。 ミキッチ選手の言葉の通りにアウクスブルクがドイツでは大きいクラブでないのは確かだし、環境は浦和の方が良い面も多かったけど、戦っているリーグのマーケットの大きさは日本と比べ物にならない。そこに自分の身を置くことができたのは、すごく価値のあるものだったと思う」 今でこそ、欧州の5大リーグと呼ばれる場所、それも有名なクラブへJリーグから直接移籍するパターンは少なくなり、ベルギーが主な欧州への“玄関口”になっている感がある。しかし当時は「ベルギーを経由して移籍するようなこともなかったし、ベルギーに行くのかよと言われてしまうような」状況だった。その中で、とにかく欧州のマーケットの中に入り込むことを優先した選択は時代を先取りしていたのかもしれない。
轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada