「玉三郎のおじさまの言葉で印象深かったのは…」“令和の光源氏”市川染五郎の“人生最大の緊張”
憧れの人間豹で発揮した身体能力
2024年2月、博多座で上演された『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ) 明智小五郎と人間豹』は江戸川乱歩の「人間豹」を原作とする作品。父である松本幸四郎さんの企画によって2008年に初演された舞台にアレンジを加えての上演でした。 「3歳の時に祖父(松本白鸚)と父(松本幸四郎)が初演した舞台を覚えています。舞台稽古だったのだと思いますが、最後に父が宙乗りで飛んでいく姿を目の前で見て興奮しました。降りしきる雪の紙を集めて持ち帰り家でばらまいて遊んでいました。(松本金太郎としての)初舞台の前の年のことで、この役を演じることは歌舞伎俳優としてスタートする以前からの憧れでした」 人ならざる存在である人間豹と名探偵・明智小五郎の対決が描かれた物語で、幸四郎さんから染五郎さんへと受け継がれたのは人間豹である恩田乱学と恋人を恩田に殺され物語の発端を担う御家人・神谷芳之助の2役。幸四郎さんは初演時に白鸚さんが演じた明智役です。 「本当に嬉しくて夢のようでした。その一言に尽きます」 喜んだのは観客も同じです。『勧進帳』や『源氏物語』で見せた風情とはまるで対照的、獣の性質を持つ恐るべき恩田では独自に工夫した動きを取り入れて縦横無尽に劇場を駆け抜けたのです。千穐楽には劇場スタッフお手製の“満員御礼ステッカー”が入場者に配られ大盛況となったのでした。 「大阪での再演から13年、この作品を知らない方はたくさんいらっしゃいます。もうひとつの演目『鵜の殿様』は父が舞踊会で見つけた作品で、歌舞伎公演ではこの時の博多座が初演でした。二演目とも実際に観て見なければ面白いという保証がない状況、果たしてお客様にいらしていただけるだろうかという思いがあった中、いい結果が出せて本当にうれしかったです」 そして『鵜の殿様』ではかつてない感動も味わうことに。
小学生が喜ぶ姿に涙! 新たな夢に向かって
「上演中にすっごく楽しそうに舞台に夢中になっている小学生が目に入ったんです。聞いたところによるとそのお子さんにとっては初めて観る歌舞伎だったそうで、人生初の歌舞伎体験でこんなに喜んでもらえるんだ! と思ったらもう泣きそうでした」 染五郎さんが演じたのはコンプライアンス的に問題のある大名。それゆえに使用人である太郎冠者に仕返しをされてしまうのですが、ここでも並外れた身体能力を発揮。ファッション誌などで見せているクールでスタイリッシュな染五郎さんと同一人物とは思えない弾けぶりで客席は笑いの渦に包まれました。 「何回も繰り返してやりたい演目です。父と配役を逆にしても面白いでしょうし。回数を重ねて歌舞伎の古典にしたい。こうした作品をどんどん掘り起こしたいと思っています」 高麗屋の、そして歌舞伎の財産がまたひとつ増え、早くも8月に歌舞伎座で再演されたのでした。 表現者としての幅を広げながら次々と夢をかなえている染五郎さん。 「ありがたいことに次々とチャンスをいただき、ひとつ終わってから次の役に取りかかるのでは間に合わない状態が続いています。どこまでアクセル踏み続ければいいのだろうと思うこともありますが、いろいろな役、人物について考え続けられるというのはすごく幸せなこと。新しいことに踏み出すのは不安もありますが、この頃はわくわくの方が大きくなってきました。できてもできなくてもやるしかない。それならば楽しんだほうがいい。そう思えるようになってきました」 次なる挑戦は新橋演舞場と博多座で上演される歌舞伎NEXT『朧の森に棲む鬼』。幸四郎さんが主人公・ライを演じて2007年に新橋演舞場で初演された作品の歌舞伎化です。 「劇団☆新感線の中でもダントツに好きな作品で父のライと同じ舞台に立てる! というのがまず何よりうれしいですし、(脚本の)中島かずきさんの(演出の)いのうえひでのりさんが創り出すあの世界に自分が入れるのかと思うとわくわくします」 いつか自分もライを! という夢を胸に、染五郎さんが演じるのはライと密接にかかわるシュテン。またひとつ大きな夢に向かって運命が動き始めました。
清水まり