「家族3人が筋ジストロフィー」プロ卓球選手・吉田雅己が初めて明かす絆と覚悟
今回打ち明ける理由
――ご家族の病気が、これまでの進路選択に影響してきたことはあるんですか。 いや、自分のことも大事だったので、自分の卓球のためにどこに行ったら強くなれるということを一番大事にしてきました。 ただ、我慢したことは全くないですが、安定しないといけないという気持ちはありました。 特にこの数年は、金銭面も含めて家族のこともしっかり考えつつ、その中で自分のやりたいことをやろうと考えています。 ――ご家族の病気の話、これまであまりしてこなかったですよね。 今までは必要ないと思っていました。だけど、今日は母にも事前に理解してもらって話してます。 ――なぜ今、話そうと。 自分の理想でもあるんですが、特に金沢ポートは地域密着チームなので、本当は選手はその地域に住んで活動するべきだと思っています。 そうなんですけど、自分はこういう理由でそれができない。 監督は親戚なのでわかってるんですが、ファンの方や関係者、地元の方にもその事情を伝えたかったという思いです。 ――地元のファンも、金沢ポートで生き生きとプレーする吉田選手を楽しみにしています。 今は、試合ができるという喜びを感じながら練習しています。 とはいえ、金沢ポートもすごくレベルが高い選手ばかりなので、まずは監督にオーダーを書いてもらえるように必死で頑張ります。 ――従兄弟の監督も、背水の陣で臨む二年目ですから。 はい。 監督はもちろん、選手もスタッフもみな、自分が信頼できる方たちばかりです。 去年、対戦相手として金沢ポートを見ていて、ここでプレーしたいと思えた、圧倒的なホームの雰囲気でした。 ファンの皆さんと一緒に勝ちに行きたいと、本気で思っています。
そのラケットは離さず
さて、冒頭のビクトリーマッチに戻る。 結果、吉田は英田理志(静岡ジェード)とのビクトリーマッチにも敗れた。先行されて追いつき、また先行されては追いつく、これまでの吉田の選手人生のような辛抱の展開だった。 デュースの末、最後は相手のボールがネットインして敗れた瞬間、思わず脱力して天を仰いだが、手から滑り落ちそうなラケットは離さなかった。 “侍”と呼ばれる不器用な卓球オタクの、矜持だった。
槌谷昭人(ラリーズ・メディア事業本部長)