【スポーツとファッション】 バドミントンシューズの栄光と黄昏 後編
忘れたわけではないのだが
こと自分に置き換えると、デコラティブな装飾を配した最新のファッションではなく、古く汚らしいものこそが自身の思想を体現しており、自分らしくいられるのだと思っていた。90年代当時の自分は、カート・コバーンが奏でる音楽だけでなく、そのスタイルにも共感し、憧れる部分があったのだ。 ただ、45歳を過ぎた現在、カート・コバーンの残した表現の捉え方が変化したこともあり、カート・コバーンを想ってジャックパーセルを履くことはほとんどなくなった。あくまで、バドミントン経験者として、〈スマイル〉の〈補強〉に思いを巡らせ、ジャックパーセルを愛用する方が、しっくりくる。 バドミントンをしていた当時の自分と、今の自分を繋ぐ、といった役割を、ジャックパーセルを通じておこなっていたようにも思う(同窓会などで久々に会った友達と、自分がどのような話し方や態度で接していたのか一瞬わからなくなってしまうこともあるように)。
VictorySportsNews編集部